新譜とは言えないが―999『BISH!BASH! BOSH!』
「変哲もなく、非凡なバンドー999」を投稿してから、私が所有する999の作品も少しづつ広がりを見せてきた。目下の最新作『BISH!BASH! BOSH!』―日本語表記にすると『ビシ!バシ!ボシ!』か。なんだか冴えない。もっとかっこいい表記はないものか・・・・。訳すと、「サクサクやろうぜ!」となるのだろうか。―をCDで落手し、歌詞を読みながら聴いている。やはり一筋縄ではいかないなとにやりとしてしまう。
今、『BISH!BASH! BOSH!』を最新作と記したが、リリースは2020年4月24日だから、もう4年近くたっている。このアルバムを知ったのは2年ほど前で、手に入れたのはつい最近というのんきさ。なにせ約30年、999は全然聴いてこなかった。ロックやパンクはまるきりと言っていいほどご無沙汰していたのである。2年前久しぶりに1stアルバム『999』を聴いて感動し、キャプテン・オイ!から出ているボックス・セットを入手し、持っていない作品はYouTubeで、歌詞はサイトで検索しつつ、今日までノロノロと聴いてきた。実質リスナー歴5年(?)にも満たないペラペラ野郎である。だから発言の説得力はほぼ、ゼロであろう。それでもいけしゃーしゃーと語るのは、私も歳を取って面の皮が厚くなったからである、と強引に収斂させておこう。いいのである。4年前の作品を語ったって恥ではない。出たばかりの作品を語るばかりが能ではない。それに3か月かそこらで忘れ去られ捨てられるような作品を、彼らだってつくったつもりでもなかろう。少なくとも私は、『BISH!BASH! BOSH!』は今でも価値ある作品だとみなす。だからこうして雑文を垂れ流すことにしたのだ。
『BISH!BASH! BOSH!』のレコーディングは、ベーシストのアウトロ・ベーシック曰く、自宅にニック・キャッシュ/ガイ・デイズから予め曲のデモ・テープが送られてきて、各自自分の演奏パートをマスターし、全員のパートのフレーズが固まってからベーシック・トラックをレコーディングし、その後の細かい作業はニック・キャッシュ/ガイ・デイズのみによって行なわれたという。[1]つまり相当な部分がキャッシュ/デイズによって統制されたレコーディングだったようである。そのせいか、全体の音はかっちりとまとまった印象がある。奔放さよりも結束。これが『BISH!BASH! BOSH!』のサウンド・コンセプトということか。それでいて、各々の曲のサウンド・ヴァリエーションは豊かだ。ニック・キャッシュはアルバムにはパンク台頭期のパッションと、その後のシーンの多彩さを感じ取れるような音にしたかったと語っているが[2]、確かにと肯かせるものがある。音が多彩になると作業の効率性が落ち、焦点ボケしてしまう恐れが出てくるが、そこはレコーディング作業を細分化し統制したことで弊害を免れるよう計らったというところだろうか。
さらに興味深いのが、各曲の演奏時間である。90年代以降に発表した前3作は、台頭してきた若いグランジ~パンク系のバンドへの対抗意識が如実に表れ、演奏時間が3分未満の曲が大半を占め、スピード感と音の凝縮ぶりを強調しようとする面が多分にあった。『BISH!BASH! BOSH!』にはそれまでにみられた新興勢力への対抗意識も、所謂パンク的なスピード感や密度高い音への執着も感じられない。演奏時間も大半が3分台となった。これまで以上にリラックスし―弛緩したという意味ではない―、よりじっくりと演奏を聴かせようという配慮がある。
じっくり聴かせる姿勢は、歌詞においても顕著である。歌詞は演奏の従属物ではない、という明確な視座。その全体的な内容も、サウンド同様ヴァリエーションに富む。いかにも下世話な―それゆえに庶民の感情を良くつかんでいるともいえる―ラヴ・ソングから、社会批評的なメッセージまで、やはり一筋縄ではいかない間口の広さを見せているが、サウンドや演奏面でこれまでよりスピード・ダウンし演奏時間を増したことで、歌に対して聴き手により真剣に対峙させようとする姿勢が見て取れる。歌詞カードを添付したのも、歌詞面を重視した表れだろう。
歌詞においてさらに興味深いのは、ニック・キャッシュの自伝的要素の濃い内容の曲が散見されることである。10曲目の「My dad Trashed My Submarine」は、キャッシュが幼い頃、自分の持っていたオモチャの潜水艦を父親に壊され捨てられたときの思い出をモチーフにしている。父親は第二次大戦と朝鮮戦争を体験した時のトラウマで、おもちゃの潜水艦に過剰な反応を示したと歌われるのだが、当然、壊された子供も心に傷を負う。行為する者とされる者、双方が傷を負う。物事は複眼的な視点でもってとらえなければならない、一方的な視点でモノをみてはならないことをも、曲は知らしめる。ラストに配置された「The Pit And The Pentagon」はキャッシュの10代のときのバンド活動の記憶を歌う。組んでいたバンドの名はPentagonで、受けも上々だった、けれどアメリカ国防省Pentagonのお陰でベトナム戦争が泥沼化し、アメリカ市民は戦争に駆り出され、戦場で心身を病んでしまう者が続出した、俺のやっていたPentagonは人を楽しませたんだから、こっちの方がましだろ、とキツイしゃれをかます。政治的社会的な理想論を正面切ってぶちあげるのでなく、市井の人の日常の感情のひだをすくい上げてそれを社会批評に転嫁する技が冴える。それも自分の体験に即してやっているのだから説得味も増すわけである。
各曲について、これ以上つつきまくるとこれから聴かれようとする方々の興味を削いでしまう危険性が多分にあるからこの辺で止めておくが、999は決して世間で流布しているような明るい、馬鹿の一つ覚えのポップスに徹するバンドではないことは、このアルバムに向き合えばよくわかるはずである。
999には、歌~歌詞を意識的にじっくり聴かせようとするアルバムが、かつてもあった。78年の2作目『セパレーツ』である。そういえばあのアルバム収録曲の歌詞もヴァリエーションに富んでいたし、全体的に演奏時間も長くテンポもスロー・ダウンしていた。ひょっとしたら999は『セパレーツ』をモデルケースとして『BISH!BASH! BOSH!』を制作したのかもしれない。これは何の根拠もない想像である。同じ系譜にあるアルバムとして、85年の『フェイス・トュ・ファイス』も挙げられるだろう。
『BISH!BASH! BOSH!』はどの程度売れたのだろうか。つまらぬことを考えてしまうが、ネットをつらつら眺めていると、この4年弱、メディアは喧しく『BISH!BASH! BOSH!』を語っていない。アルバムが発表されたときはコロナ禍の真只中であり、発表当時のライヴはことごとく中止になってしまい、アルバムの宣伝が出来なくなったとガイ・デイズは語っている。[3]コロナが、『BISH!BASH! BOSH!』に対するメディア~世間の関心を削いでしまったことは否めないだろう。999は結成以来運に恵まれないバンドである。80年にアメリカ・ツアーを収めたライヴ・アルバムをつくる予定であったが、機材の不備で録音がかなわず、以前に録音しておいたイギリス本国でのテイクが使われたりとか[4]、その前にはBBCで放送禁止に出演禁止の処分を食らい[5]、新作の発表時期であったのがチャート・アクションでけつまずき、おそらくそれが直接の原因でレコード会社との契約も打ち切りとなったりと、ケチが付きまくった。世界各国をツアーして回り、70年代ブリット・パンクの存在をアメリカで広く認知させた最初のバンドであるという評価までされ、[6]the Crewという熱狂的なファン集団がイギリスのみならずヨーロッパ各地やアメリカにまでいるほどの確たる支持を得ているバンドなのに、不思議なほど作品のセールスに結びつかず、大々的な注目も浴びない。ヤ○ーやエ○○スのニュースを検索しても、999は殆んどヒットしない。代わりに『銀〇〇道999』が引っ掛かったりする始末である。それでも、彼らは忘れ去られることがない。13年ものインターバルを経て新作アルバムの発表ができるというのも、それだけ彼らの作品への需要が―ヒットといえるほどの水準ではないが―あるということ、彼らがいまだ現役のバンドとして第一線にい続けていることの証しである。999はパンク史上最もメジャーなカルト・バンドといって良いのかもしれない。
[1] “999-Long Live The Music[interview]” on the For The Love Of Bands, June 16,2020.
[2] Ibld.
[3] “Interview:999’s Guitarist Guy Days Talks New Full-Length” on NEW NOISE MAGAZINE, July31,2020.
[4] Ibld.
[5] “Full Story by Nick Cash” from the FEELIN’ ALRIGHT WITH THE CREW: UNOFFICIAL 999 SITE. On 999punk.co.uk.
[6] “999(band) “on Wikipedia ,updated November 27,2023. ちなみに、ブリット・パンク・バンドで最初にアメリカでライヴを行なったのはダムドであり、テレビジョンやデッド・ボーイズとも共演している。