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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(19)

プロミセス

Promises

 

シングル発売のみ

B面:「リップスティック」

録音:1978年、オリンピック・スタジオ、バーンズ、ロンドン

ミックス:アドヴィジョン・スタジオ、フィッツロヴィア、ロンドン

発売日:1978年11月18日

ソングライターズ:ピート・シェリーとスティーヴ・ディグル

プロデューサー:マーティン・ラシェント

スリーヴ・デザイナー:マルコム・ギャレット

 

二番目に売れたシングルです。

 

そうだけど、「エヴァー・フォーリン・イン・ラヴ」の余勢をかって売れたのかもね!

 

めったにないスティーブとの共作でしたが、創作の経緯は?

 

1978年の夏、マンチェスターのアロウ・スタジオで『ラヴ・バイツ』用のデモ・レコーディングをしてるときだった。スティーヴが歌詞の付いてない曲を持ってきた。歌詞を「家に置いてきた」って言って、即興で歌って聴かせてくれた。『クロノロジー」で聴けるような内容だった(「子供たちは皆座り込み、俺はひとりお茶を入れる」と歌ってるね)。ちゃんとした歌詞がないから、僕が書いたんだ(訳注:1992年制作のヴィデオ『プレイバックPlayback』でのスティーブの発言によると、プロテスト・ソング的な内容だったという)。

 歌詞はチズウィックの、レンタルした家で書き上げた。『ラヴ・バイツ』のレコーディング中だった。ホテルの代わりに間借りしてたんだ。デカい家だったよ。元々住んでた人は何週間か海外旅行に出かけてたんだと思う。まあ、家の中はエーリッヒ・フロムの『愛するということThe Art of Loving』を地でいく世界だったね。僕のその後書く曲のテーマは多くをこの本の中から見つけているかもしれない。恋愛を哲学的に考察した本さ。結婚手引書じゃないぜ![1]

 

歌詞の内容はずいぶん辛辣ですね。

 

人が約束を交わし、落胆する、つまり「その前と後」を描いたシナリオだね。最初はまだ二人がつき合い始めの日々が歌われる。全てがゴキゲンで何も問題はないとタカをくくってる。ミドルの八小節になるとこうなる。「僕らは変わらなきゃいけなかったのに、君は元のままだ」最後のヴァースは鏡のイメージというか、最初の場面から次第に移り変わっていったことを示す言葉で綴られていく。二人の関係は破綻し約束は反故にされ、現実を嘆き悲しむんだ。―人間本来の姿というわけさ。

 今、ライヴでは、ヴァースは三つだけ。ヴァース二つにミドルの八小節、そして最後のヴァースだね。デジタル・レコーディングになるまでは、それがレコードで聴ける大体の歌のありようだった。今と違って、余分なヴァースにコーラスがそのまま聴けるなんてことはほぼなかった。曲を本来のまま、フル・ヴァースであえて残すなんてことはね。当時はたとえ四つのヴァースを書いたとしても、編集の段階で切り取られてしまったんだよ。フルで四つのヴァースは無理だった。そう、たとえフルでレコーディングしたにしても、テープに落とし、マスターになる過程で手が加わる、そういう状況にあったんだ。今じゃコンピュータで簡単にできることだけどね。マスターの段階で自由にいじれるようになるっていうのも由々しきことではあるんだけどね。例えばジンバルをちゃんと叩いてあったにしても、後で消されていたりする。あるべき音が、そこにはない。というわけで、以来僕らが三つのヴァースしかプレイしなくなっても、誰も「最後のヴァース、演ってねえぞ!」なんて言わなくなった。仕方ないのさ。

 

『クロノロジー』では、その曲の初期の姿や当時は未発表だった楽曲も知ることができ、興味深いものがありました。あのアルバムは誰の発案だったんですか?

 

ティム・チャックフィールドとトニー〔・ベイカー〕が『クロノロジー』の責任編集者だった。ティムは『PRODUCT』やボートラ付のアルバム再発のときも尽力してくれた。彼は一度EⅯIを離れたけど復帰してね。信用できるいい男だったね。

 

「プロミセス」のスリーヴ・デザインはとても洗練されてましたが。

 

そうだね。けど大部分を黒の毛筆で描いてるのはちょっとしんどいだろう。今じゃグラフィック用のメタリック・ペンを使うんじゃないかい。その方がはるかに楽さ。



[1] エーリッヒ・フロムErich Fromm 人間の自由とは何か、人間的な交流とは何かといった社会哲学を研究した精神分析学者。『愛するということ』において愛とは、人々が必然的に得る技巧であると共に、疎外や孤独といった感情に苛まれる有り様を指す概念であると論じることを主題とした。フロムは愛をセンチメンタル、あるいはロマンチックであることを、かつ単なる気晴らしであることを否定した。『愛するということ』というタイトルはポーランドの「結婚手引書」から取られているという事実がある。副題は『結婚という幸福を得るための指南書』と記されており、現在も版を重ねている。