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ピート・シェリー/ルイ・シェリー『ever fallen in love-the lost Buzzcocks tapes』(24)

サムシングス・ゴーン・ロング・アゲイン

Something’s Gone Wrong Again

 

「ハーモニー・イン・マイ・ヘッド」のB面

ソングライター:ピート・シェリー

 

では、この曲については?

 

ちょっとふざけた曲だよ。これまでの人生でしくじった内容の一覧といったところだね。例えば靴下がみつからない、ヒゲを剃ってて切ってしまった(女性にだって似たようなことあるんじゃないかい!)、「私の時計は何時を指してる?手が離せない」、これはヒルダ・ベイカーHylda Bakerのネタだけど。[1]彼女のコメディには決まってこういうセリフが登場していた。「何時かしら?もう十時すぎ?あらあ、時計はちゃんと腕にしないといけないわ」定番ネタの一つだった。僕は当時デジタル時計を使っていた。流行ってたよね。全然自叙伝ぽくない話だよ。

 つまらない、些細な、誰しもが日常で味わう悩みなのさ。

 昔バスが遅れて、ハワードがパニくったところに居合わせたことがあってね。彼はバスに乗って街に行こうとしてたんだ。運転手に喚き散らして電話番号を聞き出したりしてた。それが「僕らみたいな連中には何も起きないさ/バスには乗り遅れるけど」という歌詞を書く取っ掛かりになったんだ。

 「デートだから早く来た/なのに君が遅れてきた・・・・」ちょくちょくあったことだったね。

 あと、このくだり、「一杯飲りたい、パブに行こう/けど、ちっ、閉まってやんの・・・・」当時のパブは午前11時に開店して夜中の3時に閉店、朝5時に再び開店して10時半に閉店っていうサイクルだったから、ツアー中ライヴ前に一杯ってわけにはいかなかったんだよ。大抵は控室にドリンクを用意しておいて、本番までたむろしてた。そうでなかったらホテルに戻っていたね。

 もう一つ。「一服したいな。残った50ペンスを使おう」タバコの自販機はタバコ20本につき50ペンスって、ずいぶん昔の話だよ。[2]


タバコをやめたのはいつですか?それに理由は?


健康のため。本当だよ。2001年の4月、とうとうニコレット・ガムNicorette gumのお世話になることにした。九年半続けたよ。パブに行くときは別にしてね。ラガーを飲んでるときも吸ってはいないよ。皆が吸ってるときにはいつも言い続けたんだ。「続けろ、そうすりゃ勝利は我がものさ」ってさ。今は全く大丈夫。飲んでるときにも、もう吸う気にはならないね。


音楽面では何をとり入れたんでしょう?


ストゥージズだね。ピアノを連打するところは「I Wanna be Your Dog」に似てるし。イギー・ポップには「恩を受けた」お礼に一杯奢ったことがあるんだ。未熟なアーテイストなら「借りる」と言うところだね。ベテランならこの場合「パクる」か!ロンドンのホテルでのことだった。テレフォンTe’le’phoneというフランスのバンドがいた。[3]マーティン・ラシェントがプロデュースしていて、シンガーやギタリストとは面識があったんだ。イギー・ポップの前座を務めたときにマーティンと僕は会いに行った。フランスのロックンロールバンドってすごくレアだったけど、フランスじゃ大変な人気があった。ある年の正月だったけど、コンコルド広場に二十五万人を集めてショウをやったくらいだったんだから。そこでは彼ら、ギロチンを使ってたな。あそこにはクレオパトラの針のフランス版もあるんだよ。僕はバーにいたんだけど、人はまばらだった。イギー・ポップがバーにやってきたから、僕は一杯奢るときに言ったんだ。「御馳走します。リンリンリンリンのお礼です」彼は受けてくれた。僕の発言を否定はしなかったと思う。

 いい曲だよ。ノイジーでちょっと情熱的で。でも全体に間違えてるところがあるんだよ。ギター・ソロなんだ。バックの音をまともに聴かずにソロを弾いたんだ。まさしく・・・・ストゥージズにヴェルヴェット・アンダーグラウンド・タイプの音楽への、敬意の証ってヤツさ。


『SOMETHING‘S GONNNA WRONG』という、バズコックスのカバー・コンピレーションがありましたけど。


あったね。全員シアトル出身のバンドで。トリビュートだった。


大概の曲は焦点ボケを起こしていて、あなたの衣鉢をきちんと継いでいるものではありませんでした。


最高の出来なのは「ホワイ・キャント・アイ・タッチ・イット?」だね。後ろでリフが鳴ってるとき誰かが無線で司会者に尋ねるんだ。「そう、すごく生々しく感じる。本物の味わいだ。だのに何故、それに触れないんだ?」司会者はだんだんイラついてくる。男はこう言う。「何で怒ってんだ。何で判らんのかねえ?」司会者はラリー・キングだったらしいけど、実際はどうだったんだろうね。


「サムシングス・ゴーン・ロング・アゲイン」はアメリカでは「アイ・ビリーヴ」のB面に収録という妙な扱いをされてますよね。これって殆んど知られてないと思いますけど。


アメリカじゃ、けっこうウケが良かった。ⅬAのラジオでは道路交通情報を流すとき、ジングルによく使われていたよ。そうある種心の琴線に触れるんだろうね。高速道路の玉突き衝突とか一般車道の渋滞に出くわして家に帰るのが遅くなったことを説明するとき、そのことをシンボライズする曲になるって聞かされたことがある。もちろん当時はケータイなんてなかったから、交通渋滞に巻き込まれたら家にその場で電話して、お茶温めといてとか、頼めやしなかったけどさ。

 

アメリカで人気あるんですか?歌詞の内容はすごくイギリス的、それも北部の薫りが濃厚に思えますけど。

 

アメリカでは『シングルズ・ゴーイング・ステディ』に収められて発表された。イギリスやヨーロッパではシングルで聴かれていたけどね。1979年、僕らがアメリカに行く前の事さ。最初の二枚のアルバムと、シングルは全く、アメリカではリリースされてなかった。それで関係者はシングルのA面B面を収録したアルバムを手っ取り早く出せばバズコックスの存在が知られるようになり、『ア・ディファレント・カインド・オブ・テンション』を買いに行く人が現れるだろうと踏んだのさ。大概の人はこの曲を「ハーモニー・イン・マイ・ヘッド」のB面というより『シングルズ・ゴーイング・ステディ』の収録曲として知ることになるんだろうね。

 取るに足りないことを扱ってるんだよ。それこそ目玉焼きを作ろうとして黄身を潰しちゃいましたみたいなね。つまんないことにムキになって、面倒なことに陥る、そんなの大層なことじゃないのにっていうこと。これもパンク的なものの見方になるのさ。

 

この曲には重く暗い側面が見えるんです。コメディ的な要素もありますけど。何だか崖っぷちをよろめいているような、そのうちまたやらかすなっていう意識を持っているような。

 

そうだね。そんな危うい夜の光景が浮かぶね!そして最後に絶叫するっていうね。でも物事には常に二面性があるんだよ。最悪な状況でもどことなく笑える要素があるものさ。僕らはコメディ・タッチなレコードはつくらなかったけど、どっかしらそういう味わいは持たせていたね。暗い側面を語るときには、より一層真実味のある、より一層人間的な温かい部分を描いてきた。泣くよりは笑いたいもんだろう?



[1] ヒルダ・ベイカー 自身の北部訛りをネタにして成功したボールトン出身のコメディエンヌ。1978年、当時の最新ポップスをパロディにしたカバー・アルバム『BAND ON THE TROT(訳注:働きづめのバンド)』を発表しているが、アルバムには「アーファーArfur」ムラードMullardのコックニー訛りを見事にパロディにした作品も含まれている。二人は映画『グリースGrease』の挿入歌「You’re the One That I Want」のカバー・ヴァージョンで『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演し、同局はイギリス・シングル・チャートで22位に達した。

[2] 他の機会に記したことがあるが、ピートはかつてタバコの自販機を利用するのに背が足りず、ジョン・マーの助けを借りたことがあった。

[3] テレフォンは常にフランスで最大のセールスを誇るロック・バンドで、累計約1000万枚のアルバムを売上げている。その初期作品は魅力的でパンキーであったが、(他の同時期のバンド同様)3コードで炸裂する初期からスタートし、10年の活動を経てその末期には迷走し、その「何とも言えない魅力」は失われてしまった。