無料記事1

無料記事の本当の目的

私は仕事の一環で記事を書いているのに、無料記事を必ず書く目的について説明します。

前書き

 私は記事を書く仕事が本業でないとはいえ、仕事の一環として記事を行っています。実際タダでは記事を書かないという人もいますが、私に関しては無料記事を書かなければいけない重要な理由があります。え、客集めですか?本業ではないからですか?もちろんその理由もないわけではありませんが、実は無料記事には果たすべき重要な目的があるのです。

人が受ける最も大きな苦しみとは

 唐突ですが、目的を説明する前に、苦しみを感じるメカニズムに言及します。

苦しみ=自分の信念に反する対象に直面する状態

 人は自分の信念に反する対象に面すると苦しみます。しかし悲しいや、国内では私の信念と正反対の信念を持っている人が大多数を占めています。違う信念を持つ相手とは共存できても、正反対の信念を持つ相手は共存できません。

 正反対の信念を持っているということは、自分が善と見なしている事柄を悪と見なし、自分が悪と見なしている事柄を善と見なす、つまり善と悪が逆転していることを意味します。善と悪が逆転していると、どんな問題が発生するのでしょうか?

 人は間違っていることに対して戒めを受けると正そうと努力しますが、正しいことに対して戒めを受けると不当な扱いと感じます。人は正しいことを褒められると喜びますが、自分が悪と感じていることを褒められると、利用されたと感じて嫌味と悔しさと苦々しさを感じ、生きる意欲が奪われます。

 そして、論理的思考を嫌がる人が褒める場合、自分の言うことに従ってくれれば後はどうでも良いという態度に表れます。

 寂しさは善悪が逆転している人に合わないため苦痛が少なく、核兵器は物理的なダメージしか与えませんが、善悪が逆転している人で、とりわけ自分に従えば後はどうでも良いという態度の人に利用されると、生きる意欲そのものが奪われるので、人が受ける最も大きな苦しみであると言えます。

 私が、論理的思考力の軽視と人からの注目を基準にする傾向を否定する理由は、人からの注目で判断する態度→人の反応を求めすぎて論理的思考力を軽視→他の人の考えに耳を傾ける態度を面倒と見なして軽視→自己中心的にしかならない→自分に従えば後はどうでも良いという態度→他の人を利用して他の人の生きる意欲を奪うからです。

(実は、この「善悪の逆転した人」とは、単なる信念の違いによる衝突ではなく、サイコパスやソシオパス含む、人からの注目を判断の基準と見なして、論理的思考力を理屈っぽくて馬鹿馬鹿しいものと見なす人々のことを指します。)

 果たして善悪が逆転している状態の相手と共存できるでしょうか?できないことは目に見えてわかっているので、仕事では関わらないようにする以外に方法がありません。

無料記事の目的

 それで、自分の信念を発信する理由は、信念に反する態度を示すかどうかで敵味方を判別ためであり、そのための方法の一つが無料記事なのです。記事ではなくても口頭やTwitter等、どんな方法でも構いません。また、あらかじめ信念を伝えることによって問題を最小限にする役割もあります。

 信念を発信すれば、善悪の逆転している人は嫌がらせのために近寄ることはあっても、好んで近寄ることはないでしょう。嫌がらせも嫌ですが、利用されたことによる誉め言葉から生じる悔しさと苦々しさと苦しみよりは、はるかにマシでしょう。

 感情論や人情論等、論理的思考力を軽んじる傾向が現れれば、善悪が逆転しているものとして関わらないようにしますが、相手が嫌がったり馬鹿馬鹿しいと感じたりするなどして、離れたり中傷したりすれば、善悪の基準が逆転していることは確実です。

 相手が嫌がれば確実なのに、なぜ「信念に反する態度…」で調べるのでしょうか?それは、サイコパスやソシオパスが実際には苦々しい気持ちを抱いているくせに、表情一つ変えずに好むふりをするからです。

 その一方でサイコパスやソシオパスは感情論や人情論等、論理的思考を軽んじる傾向(=実際には他人の信念を軽んじている)だけは絶対に隠そうとしません。その習性を利用して事前に見抜き、無視したりブロックしたりする等の関わりを避ける対策をするわけです。

 無料記事は仕事の一環もありますが、特に質の高い無料記事は善悪が逆転している人を寄り付かなくする目的の記事なので、その記事を無料にすることによって自分の身を守る役割を果たしているのです。

まとめ

目的:善悪が逆転している人から身を守るため
対策:信念を発信した後の態度で敵味方を判別
  ・信念と相いれない態度または嫌がる:善悪が逆転している
  ・信念を本当に喜ぶ:その人たちのための無料記事である。



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