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失敗のコスパ、挑戦の計画性

喜ばしいことに、僕たちのチームでは、新しいことに挑戦しその経験を振り返って学びを得ることを、息を吸って吐くように実践している(やや盛った)。
「試しに〇〇してみていいですか?」「△△をやってみたので、興味ある人フィードバックくれませんか?」といった具合に、気軽に試してみる習慣と、それにフィードバックし合う習慣があるおかげだと思う。

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それはそうとして、挑戦には失敗がつきものだ。失敗と言うと大げさだけれど、100点満点の結果にならないことはよくある。それが学びの余地なので失敗は歓迎したい気持ちだ。

失敗を歓迎する一方で、挑戦する際に忘れずに考えたいことが、失敗経験のコスパだ。もう少し丁寧に言うと、失敗経験を得るためにどれだけの時間をかけるかを考慮したい。
例えばアプリケーションの設計に挑戦しようとしてPCに向かって云々唸ったままコードが1行も書かれずに1ヶ月が経過したとしたら、コスパは良くないだろう。コスパという表現が不適切に感じる場合は失敗を許容し得る期間(時間)と言い換えよう。「設計に悩むのは3日間までなら良いが、それ以上かかる場合はテックリードを交えて進める」と言った場合の「3日間」の部分の妥当性が、ここでいうコスパだ。

挑戦のコスパを検討することは、闇雲な挑戦を計画的な挑戦に変換していく作業だと思っている。
注力すべき優先順位は何か、その順位に応じた時間配分で挑戦しようとしているか、挑戦から成功や失敗までの一連の経験を得られるまでにどれだけの時間が掛かる見込みか……といったことを考えて、挑戦の計画性を高めていく感覚だ。

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僕にとって「失敗から学ぶ」ことは「失敗を前提に学びの機会を組み立てる」ことなので、計画的であることは重要だ。

とは言え、挑戦した結果どれだけの学びを得られるかは予測できない。結果の予測は何パターンかできたとしても、その結果に直面したときに自分がどんな行動を取るかや、どんな運要素が絡んでくるかまでは想像が及ばない。

つまり、挑戦から得られる学びのコスパは事前には検討できないということだ。であれば挑戦すること自体のコスパを考えよう。というロジックで、挑戦の計画性を高めるに至っている。

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ちなみに「挑戦のコスパ」=「かける時間の妥当性」と先述したが、この妥当性の判断はけっこう難しい。正直言うと、ちゃんと判断できているか自信はない。

判断材料は、忙しさ、経験年数、難易度など無数に合って、それらをどれだけ考慮できているかは分からないし、判断の答え合わせもできない。だから挑戦の前には計画をし、後にはふりかえりをし、コスパよく挑戦できていたかを考え続けることで判断の確度を高めていくしかないと思って、今までも、これからも心してかかろうと思っている。これもまた、挑戦なのかもしれない。




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