僕たちにとって"KPT"は武器か、それとも呪いか
かつての僕はふりかえりといえばKPTのことだと思っていたけれど、もちろんそんなことはない。KPTは手段の一つに過ぎない。ではいったいどんな効果を持つ手段なのだろうか。
「KPTは頼れる手段だが濫用は危険」これが僕の最近の考えだ。
差分認知といって、人は多くのことができていても僅かなできていないことに目を向けてしまう性質があるそうだ。それ故Problemを起点としたKPTでは意見を集めやすくふりかえりの効果を実感しやすいが、反面、ふりかえる切り口を狭めてしまうリスクがある。