NOという勇気は経年劣化する
数年前の僕は、気軽にNOと言えた。自分の思う最適解に向けて直進し、間違っていると思うことを直球で否定できた。
だけど今では、自分にとっての「最適解」が誰かにとっては最適ではないことを知っている。誰の目から見ても明らかな最適解があるのであれば、既に満場一致であるはずだ。そうでないということは、僕にとっての最適解と誰かにとっての最適解が違うということだ。背景が違い、考え方が違い、守るものが違い、だから最適解が違う。
この前提に立つと、自信を持って意見を伝えるということは少し難し