伝えるだけじゃ十分じゃないかもしれない

この前、少し体調面で苦労していることを書いた。こういったことは何も知らない他人に伝えるよりも、友人や家族、職場の同僚といったより身近な他者に伝えるほうが心理的なハードルが高いように思う。

とはいってもきちんと伝えたほうがいい人、ちゃんと理解してほしい相手はいると思う。

理解してもらいたいという感情は健全なものだと思うけど、行き過ぎた承認欲(「依存」の一つの形)も困ったものだ。精神的に不安定だったり感情が高ぶっていると、この依存が「他責」になっていくことがある。私を見て、私を見て、どうして私を見てないの、どうして伝わらないの、という風に。

言葉で伝えたこともないのに「どうして伝わらないんだ」と思ってしまう。錯覚といっていいのかな。実体のない自分の感情がひとり歩きするのにまかせて、自分がどう思っているか、どうしたいかをきちんと伝えたかのように考える。

一度内省してみましょう。自分は気持ちが落ち込んでいて、おそらく休養が必要だ。気持ちが落ち込んでいるというのは単に心の問題というんじゃなくて、脳のどこかの部位が刺激に対して活発に反応しすぎるせいであって、つまり休養というのは何もしないことなんだ。だから少しの時間そっとしておいてほしいし、過度に心配もする必要はないよ。

こう伝えてみよう。ここまででひと段落。

ここで相手の目線になって考えてみる。パートナーが何だか精神的な体調を崩しているみたいだ。会ってみても会話が続かなくてノリが悪いし、頭が痛いという。少し休みたいと言っているから、一週間は会わずに体調がよくなるよう願っていよう。でも正直、自分はどう接すればいいのかわからないし、とりあえず相手が望む通りにしてみよう。

少し間をあけて連絡してみる。一週間の休息で少しは気持ちも晴れたかなと思ったけど何となく元気はない。でも会話は普通にできるし、こうして遊んだりしているし、まあ気にしなくて大丈夫だと思う。それなのにまだ体調が悪い、休みたいだって。もしかして自分に会いたくないんだろうか。

不安が膨らみすぎると、また承認欲から依存、それから他責のサイクルが始まりそう。

そこでこう考えてみたらどうだろう。相手は休みたいと言っているけれど、自分は相変わらず会いたい。そしたら、無理をしない範囲で落ち着いて一緒にいられる時間をつくれたらいいんじゃないか。そもそも、具体的にどういう対応をしてほしいのか確認したらいいかも。自分が会いたいのなら、相手も会いたいと思える環境づくりが必要だよね。二人がwin-winの関係になれたらいいよね。

仮に体調が悪い人をAさん、その人のパートナーをBさんとしてみる。AさんもBさんもこのような内省をできる状況であれば、いい方向に関係性をもっていけることができそう。一方で、どちらかの配慮が欠けるようなことが続けば、お互いにストレスが溜まっていくかもしれない。

そもそも、AさんはBさんに対してどうして理解してもらえないのかという不満をもっていた。それでAさんは気持ちの伝え方を工夫してみたのだけれど、それでも上手くいかなかったら、また他責を始めてしまいそう。確かに自分は努力してみたのに…

Bさんも、お互いの希望を満たせる方法を探してみたけれど、Aさんは会うという行為自体にストレスを感じているかもしれない。その場合も工夫は空回りに終わって、じゃあやっぱり会いたくないのかと…

という風に考えてみて、何だか自分がきちんと伝えるだけじゃ十分ではないんじゃないだろうかという気がしてくる。自分から見た相手は他者であり、とりあえず環境として捉えることができるだろう(奇しくもBさんが人間関係の「環境づくり」の大切さを考えたように)。

動作するはずのコードを書こうが書くまいが、プログラムが正常に動くかどうかは実際のところ環境依存だ。内部の文字コードが違えば、そもそも正しく解釈することはできない。

文字コードの例えでよく扱われるのは自然言語の違いだろう。相手が日本語と英語のどちらを話しているか。英語が分からない人に英語は通じないのだ。あるいは日本語も英語も聞き取れる人だけど、相手が英語で話していると一瞬勘違いしたせいで、日本語の内容が聞き取れなかったなんてこともあるかもしれない。

でも僕がここで文字コードとして捉えているのはもう少し漠然としている。AさんはAさんの立場(=文字コード)から自分の気持ちを伝えようとし、BさんはBさんの立場(=文字コード)から行動しようとする。じゃあここで問題となる文字コードはUTF-8なのか、Shift-JISなのか。

正解はおそらく無いですよね。立場という文字コード自体が解釈に委ねられていて、その立場も解釈も環境依存。しかもお互いの関係性がはっきりしていて、相手のことをよく理解していても、相手が望んでいることを取り違えることがある。

気持ちを伝えるという行為は、プログラムに例えると書いたコードが単に渡されるということだと思う。プログラムの動作内容はコードに書かれているけれど、コードを読み取る設定が適切でなければ正しく動作しない。でも、この「コードを読み取る設定」を調整するのが人間関係では難しい。

そう考えると、具体的な解決策はどうあれ「伝えるだけじゃ十分じゃない」とは言えそうな気がする。もう少し深く考えると、完全には伝わっていないのに関係性が発展していくのが人間のすごいところとも言えそうだけれど。苦労は尽きません…

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