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日記 2024/2/11

雪が溶けていって最初の三連休はパートナーと一緒に家具店を見て回る予定だった。けれども金曜日にパートナーが家にやってきたときには熱があって、明日はたぶん無理だろうねと言いながら寝た。次の日の朝に熱はもっと上がっていて、無理だろうねと言いながらも次の日にはもうとっくに回復している、そういう期待を持っていたことに二人とも気づいて、諦めはつくんだけどどこかしょぼんとしてしまった。

それが昨日までで、今日も微熱程度にはなっていたのだけれどとても買い物になんか出られる元気はないので、そのままパートナーを家まで送っていった。

それから自分の家まで折り返して帰る途中で、紅茶の茶葉を買いに行った。狭い店内で、誰かが棚の前に立っていたら後ろを通るのに必ずどこかぶつかってしまう。僕は人がいるところをとにかく避けながら、紅茶の棚を見つけてひとまずアッサムの茶葉を手に取った。それからちょっとだけ面白いものがないか物色する。

そうすると僕が通った後に、子どもを前に抱えた男性が歩いてきて、彼の横には段ボールで積んである商品が置いてある。それで子どもは商品にぶつからないようにしていたのかもしれないけれど、彼の背中が段ボールにぶつかって商品が崩れ落ちそうになった。僕はそれで段ボールを支えて、上の商品は落ちたが何とか店が大惨事になるのは防いだ。けれどもぶつかった人はこっちを間抜けそうに眺めて、ナニナニと言った感じで眺めながら遠ざかっていく。商品が崩れそうになるのを見ていた別の男性が落ちた商品を拾ったりしてくれる。それでありがとうございますとは言ってみるけれどたぶん僕は感謝の気持ちを持っていなくて、ぶつかった男性への憎悪がいろんな感情を覆いつくしてしまった。

本当は紅茶は手元にあるわけで、もうレジに並んで買って帰ればいいのだけれど、レジにはさっきの商品を崩したまま去った男性が並んでいて、近づいたら文句が半自動的に流れ出すのは目に見えているので別の棚に隠れて紅茶を持つ手を無意味に上下動させながら待つ。

気持ちも落ち着いたしもういいかと思ってレジの方に進んでいくと、ベビーカーを前に置いて女性が待っているのでその後ろに並ぶ。で、どういうわけかそのベビーカーの女性は途中でさっと店の外に出ていく。と思ったら、先ほどの子どもを抱えた男性と一緒に買い物に来ていたらしい。それを納得したように眺めていたら、今度は後ろから初老の男性と男の子がレジ横の商品を見にやってくる。で、しばらく商品を見ていたかと思ったら、そのまま僕の前に立ってレジを待ち始める。

何なんだ今日はと思って、でも正直抜かれたままでもいいかとはじめは思った。どこかで上手くいかないことを受け入れないとこういう日は悪い方向に進むものだ。でも、僕の後ろを見てみたら何組もお客さんが待っていて、これで僕がその人に並んでいることを伝えなかったら、その人たちもみんな何だか不平等な気持ちになるかもしれない。そう思って結局、ここずっと並んでるんですけど、と言って後ろに並び直してもらった。

すぐにレジは空いて、僕はさっと支払いを済ませてからお店を出た。

そこまでやって書店にわけもなくエスケープしたところで、いろんな種類の汗をかいているなと背中や首筋で感じてやるせない気持ちになった。それほど考え込まなくても、商品にぶつかった人も、レジの列に気づかず並んだ人も、自分だって誰も悪いことはしていない。後ろに並んでもらうように僕が伝えたのも相手は精神的に損をしたように感じるかもしれないが、それで不快にさせる意図がないのも同時に伝わっているだろうと思う。

でも、もし商品にぶつかった彼の出来事がなかったら、僕はレジ待ちのことを初老の男性に伝えただろうか。パートナーの看病がなかったら、ひとつひとつのことにそこまでストレスを感じていただろうか。負の感情の連鎖はどこから始まっているのか分からない。それは無意識でつながっているのかもしれない。無意識を制御することはできないので、僕にできることは感情として表に出てきてしまったものにどう対処するか決めることだけなのだ。

ただ、虚勢を張るまでもなく、これだけは言ってもいいと思う。パートナーが風邪を引いたままやってきて、僕らはほぼ丸二日間、何もできずに家で過ごして、ただ時間を浪費したのだけれど、それでも僕は幸せだった。だから、何か悪いことが二つや三つあったとしても、今日はいい日だったということを覚えていたいのだ。

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