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物語3

○○町は私の住んでいるアパートの最寄り駅から電車で15分程のところにある。真夏の電車の中は冷房が効き過ぎている。アパートを出る直前までの落ち着いた晴れた気持ちも、外の暑さと冷房の効いた車内の温度差に戸惑う。こういう気温の上がり下がりのせいで子どもの頃に何度夏風邪を引いたかなと考える。そうこうしている内に電車は目的地に着いてしまった。

駅には夜の街でホストをやっていると思しき二人の男が、次に来る快速の電車を待ってベンチに腰かけている。一人は金髪で肌が真っ青だが病的な印象はない。もう一方の男は薄くあごひげを蓄えていて、私と歳が近いように見える。二人とも白シャツに黒のジャケットという服装だが、あごひげの男は脚を組んでベンチの裏にまわした腕で背もたれのところをコツコツと叩いている態度から、接客業をやっている人間には見えなかった。あるいは普段は傲慢なだけで、店では上手くその立ち振る舞いに化粧をするのかもしれない。それかオーナーであるとか、金髪の男の方の何かしらの金を肩代わりしているとかか。可能性ならいくらでもあるし、私の推測によるそれらは私にとっても彼らにとってもどうでもいいことだろう。でも、もし私があの二人のどちらか一方だったとしたらどうだろう、と考えてみる。そのとき私はあの二人の世界の外側に立って、今の私と同じように自分自身のことを見つめようとするだろうか。

駅を出るとすぐ正面に指定されたカフェがあった。意外にも朝八時前にもうそのカフェは開いていて、外のテラス席に葵が座っているのが見えた。葵は緑のスニーカーにカーキのワイドカーゴパンツ、それから襟と袖口に青のラインが入っている厚手の白シャツを着ていた。髪は分けているが肩の上くらいまで伸びているので、遠目からは先ほどのホストの連れだと言われても納得できる格好だった。

「お、早いね、てかめちゃくちゃ早くない」
私が駅を出てまっすぐ向かい始めると、葵もすぐに気づいて手を振ってきた。
「家から20分くらいだしね」
「あの時間にもう起きてたの」
「葵のメッセージで起きたよ。でも久しぶりに早起きして動くのも悪くないと思った」
「まあ、おれはいつもなら寝てるんだけどさ」
葵はアイスコーヒーを飲んでいるようだ。店内には中年男性が一人いる他に客はいなかった。
「ちょっとおれも飲み物頼んでくるわ」
葵を横切って店内に向かおうとするところで葵の足元にリュックがあるのが目に入った。葵は遊びに出かけるときあまり大きい荷物は持たない。つまり、必要があってそれを持ってきているということだった。

ホットのカフェラテのMサイズを持って席に戻ると、葵はMacBook Airを取り出して操作していた。傍から見ればカフェで自慢げに作業する大学生にも見えるし、やり手のスタートアップ起業家にも見える。葵の場合どちらかと言えば後者だ。大学生の頃からいくつかのIT企業のインターンシップに参加し、ほとんど正社員と同じような待遇で働いていたと前に本人から聞いた。大学卒業後に大手のIT系企業の正社員として働いていたが、二年でその会社を辞めてからは、週の半分は知人の広告系スタートアップ企業で働き、残りの時間を使いほどなくして自分でせどりの事業を立ち上げた。そのせどりから派生して、自分で考えた商品を生産だけ外注して自分たちのモノとして売るOEMと呼ばれるようなこともやっている。

「的を絞ればさ」
葵は言った。
「意外とモノって売れるんだよね」
「なるほど」
そこそこの中小企業で自分の技量よりも簡単なタスクを日々こなしながら、それでいいと思っている自分には特に返す言葉がなかった。
「こういうの面白いと思わない?例えばこういうのあったら楽しそうだなって思うものをさ、実際につくったりどこかからもってきて売れば、一億人いれば数千人とか数万人は欲しがったりするからさ。大変ではあるけど、思っているよりは難しくなかったりするんだよね」
「いや、面白いとは思う。葵は実際楽しそうに見えるし、でも正直その世界を知らなすぎて何とも」
葵はリュックからPCマウス程の大きさの箱を取り出してテーブルの上に置いた。そしてそれを右手の指でつまんで商品をディスプレイするように手首を使って左右に回した。
「今度はこれを売ろうと思ってさ、試作品なんだけど」
「これは何?」
「Bluetoothのスピーカー。これ一つをスマホとかに繋げばさ、複数持ってたら連動して音が鳴るようになってるの」
「面白いね」
葵が少し目を開いて口角を上げる。
「部屋の中と風呂とかトイレに置いとけばどこに行っても音が流れてたら便利だと思うんだよね。原価もそんな高くならないし、興味本位で二、三個買う人も結構いるんじゃないかと踏んでる」

高校生の頃から、こういう興味があることをすぐに実行するタイプの人間だっただろうか。そうかもしれない。でもそこまで深い付き合いというわけでもなかったから、私から見た過去の葵に対する印象は当てにならない。記憶だけじゃ人は判断できない。昔の記憶から現在までは距離があるからだ。過去の自分から現在の自分に至るまでの直線を考えてみる。そしてそこに重なる葵の人生の波線を引く。私たちは地元が同じ、高校も同じ、今住んでいる場所も大きく見れば同じであり、重なる点も多い。しかし私たちに近いところがあるかと言えば、そう多くはないように思えた。

「とまあ、これは今日の本題じゃなくてさ。別にもう一つ大事な話があるんだ」
葵は持っていたスピーカーをテーブルに転がして続けた。

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