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物語1

子どもの頃、大切にしていた虫がプラスチックの箱の中で死んだ。根拠はないが、窒息死だと思った。それがいつのことだったか、何の虫だったか、どういうわけか視界の隅っこの方には見えているのに思い出せない。でも、それが起こったときに初めて私も死ぬという経験をしたのだった。虫は庭の花壇の外側のか細くて背の低い雑草しか生えない土に埋めた。スコップで刺してもなかなか地面は削れなかった。お尻の部分がほんの少しだけ見えたままだったが、生物の背の方からこちらを見つめてくることはないと思って一方的に私は安心したのだった。

そういうわけで、今生きている私はそれ以降の自分ということになる。第二・第三の人生。それは幾度も分岐を繰り返すプログラムの処理のようで、今現在のあり方はそれら無数の分裂の可能性の一つでしかない。結局のところプログラムは一つの入り口から膨らんで一つの出口へと繋がる拡大と収束が連続する、俯瞰してみれば一本の線でしかないので、それと人の一生という「かけがえのないもの」の無限の可能性とを同じにするのは馬鹿げている。分からなさは人間というものの大事な要素だ。大げさな人であれば本質とまで言うだろう。人生の方は、確かにその始まりがあるはずなのに、分岐していくということだけは感じられるが分かれる前のことはもう思い出すことでしか辿れない。そして思い出すということもまた分岐を繰り返すことに他ならなかったので、私はいつしかそれを真剣にやってみることもやめてしまった。

そんな私でない私と一緒にキャメル色のソファに座って隣で映画を観ている女がいる。昼過ぎだというのにカーテンを閉め切って部屋をわざわざ暗くしているのは映画館の雰囲気を再現するためだ。というより、映画館に実際にいる瞬間を模倣することで映画館にいる私たちという錯覚を楽しむための悪くない試みである。広い空間だが人はぎっしりと座っていて、でも奥行きと高さがあるので人々の熱狂と空調の冷気が混ざって少しだけ汗ばむ空間。いつから設置されているのか見当もつかない賃貸のエアコンがそんなところまで再現していて、余計な気配りだと思った。

「嫌いじゃなければ」
真麻はスマホのタップと読点を揃えて言った。
「今日の夜は中華を食べに行かない?わたし今すごくチャーハン食べたくて」
「なんでチャーハンなの」
「何となく。でもラーメンもいいなあ」
「二人で何品か頼めば少しずついろいろ食べられるよ」
「それ、ナイスアイディア」

はじめから二人で料理を分け合うのはいつものことなので、これはいわば儀式みたいなものだ。西洋の人に言わせれば会話をするのは互いに敵意がないことを示すコミュニケーションであり、大事なのはその機能なのだ。正直くだらないと思う。だけど、私たちにはときどき、それがとても重要なことなのだと思えるような奇妙な距離感があった。

二人は同い年で、二十四歳になる年に同じ働いている会社で知り合った。真麻は入社二年目でもう部署異動というものを経験することになり、営業部から開発部へと配属された。会社は顧客の社用システム開発を請け負って細々と成り立っているような場所で、かといって社員みんなが気を張らせて利益を出そうと奮闘するような社風でもなかった。にもかかわらず東南アジアにいくつかの開発拠点をもっている。

真麻は開発部にこそ異動してきたものの、どこかのチームに加わってプログラムを書いたりサーバを管理したりというのではなく、海外拠点のエンジニアに指示を出したり日本の拠点と意思疎通するための間に立つブリッジエンジニアという役割を任された。その仕事は最初、彼女を小躍りさせるように喜ばせた。大学で外国語学科を専攻していた彼女は、英語を使えるということに密かな自信をもっていたし、会社のお金で旅行気分を味わうような出張もあるのではないかと期待した。

そんな真麻が今、高くも安くもないソファに座って、映画を身体で体感しながら心はスマホの内側にある外の世界へと向けられているのを見れば、異動後の仕事と生活に大きな不満こそなくても心底満足しているというわけでもないのは明らかだった。いっそ悪いことでも起これば別の可能性に踏み出す決心もついたのかもしれないが、実際にそれは起こらなかった。

三十歳手前の今までで彼女は数回海外出張に出かけたが、そのどれも一人で現地に向かうことになったし、さらに残念なことにそう潤沢でもない出張経費から満足に遊ぶだけの時間の猶予も与えられなかった。ベトナムに行けば二泊三日で昼と夜に合わせて五種類のフォーを食べて帰ってきたし、フィリピンで飲んだ水のせいで日本に帰ってからお腹の調子が悪くなって三日間寝込んだ。そして、それだけのことだった。

言語について言えば、現地のベトナム人やフィリピン人が話す英語は、アメリカやイギリスのイケてる英語、イケてるとその当時考えていた英語とは何かが違うと彼女は思った。フィリピンは英語が公用語なので何なら彼女より達者な英語を話しているのだが、それとなく混ざってくるタガログ語や文化の違いに過敏に反応してしまった。彼女は、自分の思い描いていた理想と実際に体験した現実とを見比べるだけの聡明さがあった。そして他者を勝手に想像してしまっていた自分を恥じた。

要は、形だけみれば望み通りになったのに理想とほんの少しだけ違うということが、かえって大きな負担として真麻を襲ったのだった。彼女は、自分の本当にやりたいことは何なのか、人生の目的とは何なのかを次第に内省するようになった。そんなことを友人や同僚に話せば馬鹿にされるか中身のない同情を向けられるのは分かっていたので、めったに口に出すことはなかった。自律することが身について離れなくなってしまっていた。

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