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アニメ「古見さんはコミュ症です」をNetflixで最新話までイッキ観して、自分の気持ち悪い部分をまた知った話

アニメ「古見さんはコミュ症です」をNetflixでイッキ観しました。いまは2期が放送されています。

このアニメの面白いところは、主人公・古見さん(ヒロイン)・その他大勢のやかましい同級生という謎のトライアングルが形成されているところにあると思います。

主人公の只野(ただの)くんは、地味系な優男となっていて、僕を含めた多くの視聴者が共感を得られるようなロールモデルと思います。そしてヒロインの古見さんはその凛とした和風美な外見からは想像も出来ない人物像で、驚くほど謙虚で、驚くほどコミュ症。
でも古見さんはその美しさからクラス全員から神のような扱いを受け、奉られている様子も散見されます。

総じて、クレイジーでコメディ的なノリで物語は進行していき、一義的にはその滑稽さがおもろい作品となります。その隙間に只野くんと古見さんのじんわりとくるような二人だけの世界も挿入されてきます。日常ギャグものとしてマッタリと観ることもできるし、プラトニック寄りな恋愛ものと観ることもできます。

そして話は変わりますが、この作品を見て、僕は自分の気持ち悪い部分をまた1つ自覚してしまいました。

それは、アニメを観ながら古見さんの攻略法めいたものを自然と考えてしまってたことです。

一般論として、何をするにしても誰だって「上手いことことを運んで成功したい」って気持ちは根底にあるものと思います。主人公が無双するなろう系の作品は、その傾向というか、潜在的な憧憬を刺激したい狙いが露骨すぎて僕は苦手だったりするんですけど、、
この「古見さんはコミュ症」のように、釣り合わないカップリングを実現出来ているのも一種の無双と言えると思います。

そして本作品はなろう系と違って日常の延長線上にあるところに再現性があると僕は錯覚してしまうワケです。怪しい展開になって来ましたね。

踏み込んで言うと、アニメを観ていて、古見さんは御しやすい部分があるのではないかな、って思っちゃったわけです。倫理観レベルとしては最低なことを言っているのかもしれませんが、まあ大丈夫でしょう。

言い訳をすると、周りの同級生が良い感じに古見さんに対して盲目な風に描かれているのも悪いですね。只野くんに乗っかって、視聴者も古見さんの理解者となれるような構造になっているんだと思います。人のせいにしてしまいました。
でも、そういう見せ方になってるのはそうなので、僕みたくちょっときもめの考えを抱く罪人も産まれ堕ちるのも仕方ないと思います。それだけ上手く作られてるってことにしましょう。

対・古見さんにおける円滑なコミュニケーションを考えたり、只野くんのムーブを推測しながら答え合わせをしたりと、無意識に気持ち悪めの色メガネを通してしまってるんです。鼻息荒くなってるんです。
いや、クーラー付いた部屋でのんびり観てるから鼻息は荒くないけど。


何が言いたいかというと、アニメで無双する主人公への憧れは何歳になっても変わらないね、ってことでよろしくお願いします。

それでは皆さんも良き古見さんライフを。

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