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第三十二回「1年」

1年前の4月3日に友人の解散ライブで肋骨を骨折し
その翌日にはワンマンライブで1時間半歌った。
それからの1年。俺は変われたのだろうか。
進化できたのか、はたまた退化してしまったのか。

色んな手段や道筋に動揺したり覚悟を決めながら
なんとかやっている。
それは進化というには浅く、退化というには違和感があるようにも思える。

かといって平行線って言葉じゃきっと納得できなくて
言葉や意味というものはやっぱり難しいなと思う。

世の中というものをSNSで簡略化して文字の羅列だけで"全てを理解してしまう世の中"になってしまって
例えばその渦中に居る人物の感情や心情なんかは二の次だったり無関心だったりもする。

「」これで当事者の言葉なんかはわかるのだけれど
果たして本当にこの「」は「」なのかは当事者にしか分からないとも思う。

全てを簡単に出来る世の中は全てを隠してしまう世の中なのかもしれない。

その波はやはり音楽やゲージュツにも来ていて
インターネットの海に放り投げ出された数多の音符はすぐさま流行り廃りを変化させていくし
ライブハウスの復興はどうやらまだまだ先の話みたいだ。

だから音楽をやっている俺は最近たくさんライブハウスに行っている。

ここで一つ。ライブハウスでの見方が変わっている自分に気がついた。
今までは「俺ならこうする」だとか気持ちが悪い上からの立場で物事を判断していたように思える。
それはどこか"若気の至り"だったようにも思えるが
田舎のライブハウス以外 ほとんど知らなかった自分の無知さに蓋をしてお山の大将を気取っていたのかもしれないと思うととても恥ずかしくなったりもした。

最近行ったのは渋谷La.mamaで行われたライブで
La.mamaといえば銀杏BOYZの峯田和伸さんや最後の最後まで闘病をしてそして闘病生活の最中にステージにあがり舌を無くしても歌を歌い 本当に残念だけれども亡くなってしまったオナニーマシーンのイノマーさんらがよくイベントを行っていたライブハウスだ。

俺は北海道に住んでいる時に何度も雑誌でそのライブハウスを観たし、ゴイステのDVDでそのライブハウスの全貌を観た。

端的に言って憧れだった。

そんな憧れのライブハウスで北海道の憧れている先輩 田高健太郎さんを観た。
田高さんはたった一人でそのLa.mamaを支配していた。

その時にふと気付いたのだけれど
まるで舞台劇を観ているみたいだった。

バンドマンや音楽家としての見方ではなく
どこか舞台劇を見た様な そんな感覚になっている自分になったのだ。
それはフィクションではない。完全にノンフィクションの舞台劇だった。

心が踊った。
音楽を聞きに来たのではなく その人の生き様を見に来てその中で音楽があるのだ。

そんなことが可能だと。出来るんだと。
本気で思わせてくれたのだ。

帰り際。田高さんは俺を"仲間"だと言った。
その言葉はとても暖かく今の俺にとって何より必要な言葉だった。

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