第三十七回「夜が盗まれていく」

ここ数日 体調が少々優れずこのコラムの更新を怠ってしまった。
一年以上続いたコラムの中でそれは初めてのことだった。

楽しみに待っていてくれた方が居たら非常に申し訳ない。

さて、今深夜3:24
雨が降る街の中 私はベッドに横たわり
iPhoneでこの文章を書いている。

眠れない夜というやつがやってきた。

最近ふと色々と考える機会が多くなった気がする。
それはなんというか人間関係のアレコレや音楽についてのアレコレだったり。
私はなんでこんなに物事を難解に捉えてしまうのだと自分自身に落胆してしまったり、はたまた自分はあなた方と同じ人間として見られてはいないのでは?みたいな変なマインドになったり。と。

要は暗いのだ。

今年の初めにびっくりするくらい体調を崩して周りに迷惑をかけてしまってから なんとか自分を誤魔化しやってきたのだけれど自分の馬鹿みたいな悩みなどそもそも人様に話すことでもないのでは?と決めつけ話すのをやめてみたり、そういった色んな人からの声を聞くに聞いた末に自分が本当はなんなのかわかんなくなってしまった。

Googleマップで現在地がバグって立ち止まったかのような。

吐き出し口というのは確保しておくものだなと心底思ったのだが、その吐き出し方すらわからずに相手さんを困らせてしまうのは分かりきっていたので私は誰も傷つかない方法を模索した。

それは、対人とのコミユニケーションを放棄するものであったが今の感情なんかを話すのは私にとって非常に難しいことなのだと悟った。

プロとは恐らく感情のコントロールがしっかり出来ている人間なのだと私は思い こういったマイナスな発言を極力控えて いや、押し殺してきたのだが根がそもそも暗い人間が無理矢理明るくしようとするとこうなるのも目に見えていた。

私はきっと馬鹿にされ易いし、勘違いをされやすい。
普段へらへらとふざけている姿勢なので、それで冗談の延長が始まるのだとも思うのだ。
私は言葉を扱いながら、言葉に怯えているのだ。

なので、その言葉を使わない吐き出し口として
絵を描く事を選んだ。

下手くそな絵を描いては捨て、描いては捨てを繰り返している。
静かな夜にシャーペンの音だけが聞こえてくる。
時間もあっという間に過ぎる。
下手くそでいいのだ。絵は時間の経過の表れなのだから上手い下手は私にとってどうだってよかったのだ。

結局私は言葉を生み出し歌う人間のくせに
言葉を使わずに自分自身と向き合う術を選んだ。

生き方が下手くそな人間は(というか私は)こうして
また生きていくのだ。

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