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幸せな家の選びかた(1)

むかしから、物件情報をみるのが好きです。
引っ越す予定がなくても、いろいろな情報サイトの賃貸情報をサーフィンして、何軒もの家の間取りをみてしまいます。意味もなく、ごく頻繁に。

先日、星占いをする知人に会ったら、「あなたは家と縁の深い星まわりです」といわれました。家探しが好きだと話したわけでもないのに、彼女いわく、わたしは生来のマドリスト・・・。

たしかに、ひとり暮らしをはじめてからこのかた、変わった物件に出会ってきました。逆に、「あたらしくて」「綺麗な」アパートやマンションに住んだことがありません。住んだ期間にかかわらず、どれもわたしらしい家で、部屋でした。

たとえば、海のちかくの、ふるい一軒家の1階部分に住んでいたときのこと。3階建ての建物の、うえの階には大家さん一家が住んでいました。せまい1Kだけれど寝室部分のおおきな窓が庭の緑を絵画のように切りとっていて、キッチンには食堂をいとなめるほどの立派な設備とカウンターがそなえつけられていました。風通しがよく風がビュンとふき走ると部屋のなかに潮の匂いをのこしていきました。あそこで食べたベーコンエッグがわすれられない、と、当時は付き合いたてだった夫はいまもつぶやいています。お料理好きの大家さんが手づくりのご飯をたまに差し入れてくれたっけ。おいしいごはんと海風の家。

ほかには、古民家を改装したシェアハウス。明治初期を感じさせる梁のみえるどっしりとした内装と、だれも手を入れなくなった温室が植物のなかにうもれているような、深い庭の緑。老齢のくすの樹がおおきく枝を広げていましたっけ。サンルームに面したとびきり日当たりのいい部屋に陣取って、ごろごろと本を読んだり庭をながめたり、裏山で採れたふきのとうでつくった蕗味噌とクリームチーズとクラッカーでワインをしこたま飲んだり。裏の坂道を一生懸命のぼって夕焼けをみにいったり。

そしてついこのあいだまで住んでいた、坂の上の家。急な坂をあがって、奥へ奥へと外廊下をすすんださきにひっそりと隠れていた2階建てのテラスハウスでした。80年前に、その街にほとんど家が建っていなかったころから守り継がれてきた土地で、高齢のおばあさまが管理をしてくれていました。だれもつかわないから自由にどうぞ、と言われていた庭には、80歳以上の松の樹が守り神のようにすくっと立っていて、我が家の2階のリビングからはその古い枝を空に向ける姿が窓いっぱいに見えたものでした。

リビングの窓から


初節句のお祝いにガーデンパーティをした日


この景色と、駅前と言えるほど良い立地にしてはふつりあいなほど広い庭に惹かれて、即決断したのが3年前のこと。うちは角部屋で、ゆいいつの隣人はとても控えめな女性だったので庭にでることもなく、大家さんにアメリカ製のどっしりとしたテーブルセットをお借りして庭でごはんを食べたり、昼寝をしたり、好きほうだいだったわたしたち。高台なので街を眺望でき、東から太陽がのぼり西へしずんでいく様子がさいごまで見届けられるような日当たり抜群の家でした。松の樹と、お日さまの家。

いまでも思い出すと涙がでそうになります。庭に面した和室の畳の匂いがもう懐かしい。あの松の樹と、その枝にのってわたしたちの生活を見学していたようなキジバトの夫婦に会えなくて、さみしい。

大好きな大好きな家でしたが、子どもが生まれてからあまりにも手狭になってしまい、定期借家だったこともあり、引っ越しを決意したのでした。

いまの家も素敵です。賃貸で、一軒家で、これくらいの家賃で、この街で、緑がいっぱいあって、そんな家はないかしら、まあないよね、と思いながらふとみたsuumoで出会い、夫とそろって一目惚れ。1回目の内見から3週間後にはここにうつり住んでいました(と簡単にいえないほど引っ越しは大変でしたが・・・)。

こうして振り返ると、たしかにマドリスト(変わった物件専門の?)と名乗れるかも、と思ってしまいますがどうなのでしょうね。

どちらかというと、条件をもうけるというより直感的にえらんできたわたしの家さがし遍歴。そんななかにも、最低限の条件というか、直感をとぎすませるコツというか、そんなものがあったと思うので、つぎの投稿に書いてみようかな。

家は人にとって、皮膚の一部だといわれています。だから自分らしい家に住みたい、とおもうのはきっとすごく大切なこと。ちょっと不便でも古くても、たのしい家に住みたいという気持ちを人一倍もっているわたしのお話、聞いてくださる方がいればうれしいです。



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