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良い歌と好きな歌は違う

タイトルは気取った表現だが僕の中には明確な違いがある。

"いい歌=Good 好きな歌=Love"

そして飽きることのなく、不意に口ずさんだり、頭にループしたりする。咀嚼するたびにいろいろな感情や感覚が押し寄せてくる感じ。

この曲が僕のそれ。


ケツメイシ 「トレイン」


「夢見る限り レールは伸びる
加速する度に 不安もよぎる
今何処で 何処へ 向かってるかは 分からなくていい 夢詰まってる
車掌いない 時刻表無い 自分次第 焦らず 気負うもん無い
名も無さ駅で 止まるもよし
鳴らす汽笛で 今日終わるもよし
時には先の暗いトンネル いつかは必ず光が持ってる
迷わせ 惑わせる 風を避け 自由の空眺め たそがれ
ただ悠々と走ってく その積み荷の重さ 誰が知ってるだろう
でも構わず 音立て 飛び立て 夢の空へ」


二番のこの歌詞が好きだ。

それも"ただ悠々と走ってく その積み荷の重さ 誰が知ってるだろう"

この箇所が...

日本語の素敵な表現だと改めて思う。

小学生の頃、サッカーで北海道選抜の合宿へ僻地へ赴くとき、家族で車で向かう道中、当時はMDで車内で流していた。自分で良い曲でプレイリストを作ってね。そのときのこの曲も入っていた。


そのときにこの曲が車内に流れた...

ゆっくりと誰もしゃべらずに聞き入っていたように思う。

そして、曲が終わるときに母がボソッと...


"いい曲だね。"


この一言を発した光景を鮮烈に今も覚えている。確かに良い曲だとは当時思っていたしね。

なぜ今もその光景と言葉が自分の頭に残るのか?

改めて今に聴くとなんとなくその理由がわかる気がする。そのときの母に刺さるものがあったのだと思う。

そして、今は自分に刺さる。

自分という電車はいつしか自分だけのモノではなくなる時が来る。

憧憬や現状や未来はレールになっている、その道で出会いや別れを繰り返す。いろいろな分岐点がある。

留まることはできても、戻ることは選べない。不可逆的なものがある。そんな繰り返しで人生は進んでいく。

積み荷の重さは変わっていく。

好きな歌は人生を投影する。

当時良いと思っていた曲が、今は好きな曲に変わった気がする。

あなたにとってそんな歌はありますか?

賢島の風景より

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