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スマホ脳

ここ一週間意識的に個人的に取り組んだことがある。

"スマホと距離を置く"

"デジタルデトックス"とか格好つけた言葉ではなくね。

春はうつ病が一番高まる季節だ。

「春は進学・就職のシーズン。新学期、新年度の「新しい生活」が始まり、「新しい人間関係」も作られていくことで、変わっていく環境に心と体がまだ慣れていない時期です。また、暖かい日が続いた直後、急に寒くなるなど寒暖差が激しい日もあり、気候的にも落ち着かない時期になります。こうした生活環境や気候の激しい変化は、心と体への負担の原因となります。心身への負担は自律神経を常に緊張させることになるので、体調不良や意欲の減退、イライラを引き起こし、うつ病を発症しやすくなってしまいます。」
                      日本生命のコラムより引用。

ストレスは無意識にかかるものであると自覚することが大切。

今話題の書籍を読んで自分なりに咀嚼して感想を記したい。

『スマホ脳』ーアンデシュ・ハンセン(著)、久山葉子(翻訳)

 ・わたしたちは1日平均2600回スマホに触り、10分に1回手に取っている
 ・現代人のスマホのスクリーンタイムは1日平均4時間に達する
 ・10代の若者の2割は、スマホに1日7時間を費やしている
 ・1日2時間を超えるスクリーンタイムはうつのリスクを高める
 ・スマホを傍らに置くだけで学習効果、記憶力、集中力は低下 本書より
人間の脳は、悪い噂が大好きだ。
祖先の時代には、人口の1~2割が他の人間に殺されていた。そのため誰が信用でき、誰が誰に恨みを抱き、誰に気をつけた方がいいかという情報は、食べ物がどこにあるかと同じくらい重要だった。
その一方で、社交的な人のほうが長く健康に生きられることも、複数の研究からわかっている。人間はお互いに協力しあうことで生き延びてきた。 ゆえに人間には、噂話や社交への強い欲求がある。現代人はパソコンやスマホを用いて、噂話や社交を行なっている。
フェイスブックは代表的なプラットフォームのひとつだ。だがその平均的な利用時間から計算すると、いまの20歳が80歳になる頃には、人生の3年近くがフェイスブックにあてられることになる。人間の脳は、他人の話をするときよりも、自分のことを話しているときのほうが活性化する。人類の歴史上、ほとんどの聴衆は一人から数人程度だった。
しかし現代ではSNSのおかげで、数百人~数千人に自分のことを語れるようになった。それにもかかわらず、SNSを熱心に利用している人のほうが孤独を感じていることがわかっている。SNSを通して、皆の幸せな情報に大量に触れることで、自分は損をしている、孤独な人間だと感じてしまうからだと考えられる。            Diamond Onlineより

昨今のコロナ禍による経済不安、公衆衛生の観念からソーシャルディスタンスからの心の不安、若者の自殺数が増加傾向にあるのは、前述の引用より間違いなくスマホに触れる時間が増えたことにも一抹の原因はあると個人的に思う。

そして、春という季節柄もあり、心と体には自分の想像するより多くのストレスがかかっていることを念頭に置いておいてほしい。

僕はいわゆる"ゆとり世代"と表現される世代の層だ。中学、高校生くらいの頃にスマホというものが話題になってきたからおそらく10年前とかかな?と思う。それ以前にはガラケーは使っていたけれども。

ここ数年...ふと自分の人生を振り返ると。

"なんかあっという間に過ぎ去ったな"としみじみした。

→年を取ったからだろ!?といえばきっとそれまでなのかもしれないけれども、身を持って体験して肌感覚の経験が少ないことが起因しているのかもしれないな...と分析する。

WHY!?

スクリーンを見ると言ったら、今までのハードはTVだった。
NHKの生活調査(2015年)より、日本人の平均テレビ視聴時間(1200時間)を生活時間(15時間)に当てはめて計算すると...

日本人は年間80日~100日、生涯約15年分の時間、TVを見るとわかる(広告は年間2万4000回見ている)。今はそのハードがスマホになり、数十年分スクリーンを見るようになっているだろう。

今はきっともっと伸びているのかもしれない...

YouTube,NetFlix,AmazonPrime,instagram,Facebook,Amazon,LINE,TikTok,Twitter,DAZN,etc...

サブスク、SNSなどでてきたからね、でももっと挙げれば出るよね?

時間を使っている<時間を奪われている

この感覚が時間が過ぎるのが早い原因だと思うと、案外自分の感覚が整合性取れている感じがする。

1年間くらいリアルに生きてなかったんじゃね?

こうとすら言えるかもしれない、きっとスマホを見た時間の中で有意義にあったものも絶対にあるから一概にそうだ!とは言えない。

その中でも自分ベースで身を持って感じてきたことは...

1.集中力は絶対低下した
2.うつ病まではいかないけれど感情のコントロールが難しい

現代社会で生きる以上に、スマホやPCなどと隔絶することはできない。

そもそもこの記事もスマホとPCを併用して書いているしね笑

1.について

 最近とある勉強を始めた。

その中で座学していると、ふと途切れる感覚が襲ってくる。燃料切れみたいな。んー!?それも短い間隔で。糖分切れやカフェインの副作用ではない。これは本書の集中力が低下している自分をまず認める、受け入れることが大切だった。

"スマホを見る回数と時間を意識的にどう減らすか?"

この課題に対して...

色彩豊かな配色や発色は脳のドーパミンを高める、これが切れる時に集中力が低下するならば...

俺氏:スマホやめるはムリだな→物理的に見たくなくなるように!

てな訳で下のリンクの方法を辿る。スマホの色彩を奪う。

https://wired.jp/2020/01/30/grayscale-ios-android-smartphone-addiction/

必要な時間帯において自分の集中力は作る!

意識的に自分で触る、見る時間を減らすことで、集中力が継続して、目の前のことに長く取り掛かれるようになった。

これはポジティブだね!


2.について

 感情のコントロールってすごく広義だな。

スマホで様々なメディアでニュースを追うと、際限なく次から次へと新しいものに触れると、一つ一つに割ける時間は減るし、分析への深度も浅くなるし、ふーん。と感情が動かなくなる。

 きっと、動画や映像もそうかな。おすすめされるものを無意識にクリックして惰性で不本意で見てしまっている。いつしかリアクションばかりの自分になっているから、何かを見ても感動はしなくなる、薄くなる。感覚というか本能が腐っていく感じがする。

 ネットショッピングもそうかな。社会生活でのストレスで無意識に不必要なものを発散という大義名分で買ってしまっている。実店舗へ赴き、店員さんと話すなどの心理的な段階をパスしているから判断が鈍っているから精査しない自分がいたりする。

もちろん、どの行動も便利の裏側の自分の功罪であることに変わりない。

便利=不便

いつしか体験や経験が消費に切り替わっている。

足がすくむような経験はできているか?

 ・初めての回らない寿司屋 とかね。

便利と不便のどちらが優れていて、どちらが劣っているとかではないんだけど、自分に思い出として残る経験や体験は感情を揺さぶる。

それが、不格好だったり、失敗だとしても、自分が前向きに下した決断は消えないし、飲み込んで"良い経験だった"と次へと切り替えられる。

僕はサッカーや音楽や旅や大好きな人とのお酒や食事の席に感情が揺れる。本能的に楽しいんだ。

この本能がスマホに奪われているから、適度に距離は心の健康のためにも必要なんだと思う。目の前にいる大切な人や、離れて暮らす誰かに電話やメールをする時間を取るのも悪くないよね。

家族との空間でも、もっとたくさん話せばよかったなとか、もっと会えばよかったと無くして後悔する人が多いけれど、きっとその時に自分の行動を責める時が来よう。その時に「スマホに時間が奪われていたな」なんてあまりに悲しすぎるから...

自分の人生は自分だけのものではないから、

もっと自分のために生きて欲しい


僕は矛盾しているかのようなことを書いている。

でも、本心だ。


そして、僕らのようなゆとり世代が親になるタイミングに来ている。

すぐにその下のZ世代と言われるスマホやPCが当たり前に生まれる前にあるデジタルネイティブな層にも。

これでどんなことが起こるか?

街を見渡すとそのキーが見えてくる気がした。

・電車や公園などの街中で親がスマホを眺める。
・子供だけ遊ぶor子供にもタブレットやスマホが与えられている。

親は無意識にスマホを眺めているだけかもしれないし、もしくは子供にそれらのデバイスを与えておけば楽という感覚があるのかもしれない。

子供にはどんな心理が働くのか想像すると...

自分が楽しく遊んで、ふと親を見たときに、自分に関心を持っていないんだ...という疎外感にも似た無視されているという感覚、自分のアクションに対してのリアクションがないという状況に直面する。 

子供は何かをしているが、親が無関心である光景を意外によく目にする機会が増えた。すると子供は親の顔色を伺うし、無邪気さがなくなる。

→それならと...自分で解決する方法を選ぶ。

 逆に最初からデバイスが与えられていると、目の前の何かしらの映像がリアクションを起こしてくれる。

心のキャッチボール(コミュニケーション)は、

アクション⇄リアクションの確認作業にあると思う。

親だけど子供の気持ちがわからない。子供だけど親の気持ちがわからない。

まぁ、人間だから相手の気持ちが全てわかるなんてことはありえないんだけど...人にとって一番近いコミュニティーでコミュニケーションをサボると、社会はもっと冷酷になっていく気がする、僕はね。

コミュニケーションの方法が確立されない社会を自らが作りだして、自らをそこに放り出して晒すことになる。

だからとまでは言わないけれど、これによって自分の中での絶対正義が確立される。

行き過ぎたハラスメントや差別はこの自分の中の絶対正義の外側にあるから、そこの価値観の相違を持つ人は敵になるし、自分の意見と合う都合のいい人しか信頼できない、ある意見の権化を神格化して盲信する。

悲しいけれど、そんな未来が近く訪れてしまうかもしれない。

全てを悲観するわけでないけれども、便利にはこんな側面もあるということは知っておくに足るべきだと思う。勿論、自分への自戒を込めてね。

僕は「スマホ=悪」と結論を導いたわけでない。

・人と簡単に繋がれるようになり、いろいろな人に会えるチャンスが広がった。実際、僕もその経験を出来た。
・世界の情報がリアルタイムでわかる、もう会えないかもしれない人と情報が共有できる。

すごくポジティブだし、前向きなことも多い。

ニューノーマルな世界をよりうまくシェアしていくには課題は見えてきたように僕は思う。

だから、僕は自分が「スマホ脳」になっているかもしれないと、ズキッと刺さる表題の現状をまず受け入れることから始めた。もちろん、スマホによる恩恵を享受している身とするとこの1週間のトライは痛みや不満が伴うものだったことは否定できないし(習慣化している事を意識的に洗い出して、否定する作業だからね。)、皆さんも日常に生きる相棒に近いスマホと距離を置くとストレスフルな状況に陥ることは容易に想像できるだろう。

僕がこの先、1か月、1年、10年先に自分がどうスマホの利便性と功罪、広くは社会に向き合っているかはわからない。

たかが1週間自分がしたことを無意識に正当化したいのが人間の弱さでもあるから、改めて恩恵の側面を腐して、「スマホ=悪」と謳うのは避けたい。

それに、人間は進化の過程で環境に順応できた経験があるからこの先に当たり前にうまく立ち回れる賢さを兼ね備えるかもしれないからね。

何事も結局はバランス良く

と言ってしまえばそれまでだけれど、今一度自分自身のバランス感覚と距離感は再考に値すると思う。

現代は時間がない、忙しい毎日だとはいうけれど、自らがその状況に追い込んでいるかもしれないからさ。

でも、改めて悲観することはないよ!

少しスマホから目を話して、周りを見ると結構面白い事起きたりしてっから!

そんな時だからこそ本当に大切なモノや人が目に入ってきたりもするしね!


ま、僕は勉強するよw

バーイ、センキュー!

バンビ〜ノのこの一説が好きなんだ。

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何が言いたいかって...

自分もまだまだガキンチョ。だから成長の余地があんだよ!

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