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ある本に少しだけ救われた気がした話

残念ながらいい話とかではありません。ただ、自分のために記録しておこうと思ったというだけの、単なる自分用メモ(シリーズ)です。基本的に気持ち悪い自分語りでしかなく、他人が読んでも全く面白いものではないです。すみません。

本記事には、『ミウ -skeleton in the closet-』の中盤の展開のネタバレが含まれます。ミステリのネタバレなので、未読の方は読まない方がよいと思います。


自分は創作に向いてない。
それをはっきりと自覚したのは、たしか小学校3年のときだった、と思う。

*   *   *

物心ついた頃から本というものが好きだった。大嫌いな注射の後の「ごほうび」はいつも本だった。いつしか見よう見まねで、自分でも本のようなものを作るようになった。紙に鉛筆やボールペンで「え」と「ぶん」を書いて、ホッチキスで束ねると本のかたちになる。それがなぜかめちゃくちゃ楽しくて、意味不明な薄い本を量産し、それをいっぱしに「ものがたり」などと称して悦に入っていた。

他人にそれらを見せていた記憶は全然なかったのだけど、最近実家から出てきた年長の頃の登園ノート(毎日シール貼ってくやつ)の先生のひとこと欄を見て仰天した。「ものがたりも たくさん つくってね」「たのしい おはなしを これからも たくさん つくってね」とある。先生に見せてたのか……軽く自分にドン引きした。向いてないからこそ今となっては余計に何か悔しいものを感じるのだけど、当時はまだそれに気づくはずもなく、ただ荒唐無稽な「ものがたり」を本にするのが楽しくて仕方なかったことは覚えている。

小学校の先生からは「作文を長く書く子」と評された。小学校低学年という時期は「長文を書く」ことがステータスになりうる希有な時代だ(大人になった今は叱られる材料にしかならない)。そのうち自由帳には「え」と「ぶん」だけでなく、4コマ漫画、迷路やパズル、詩、ゲーム画面の絵、飛び出す仕掛け、空想地図、宇宙船、架空のキャラなどありとあらゆる妄想が跋扈するようになった。

ただ、その頃から「兆候」はあった。実は小学校に上がる前、即興でめちゃくちゃな歌を歌ってそれを録音するという一人遊びもまたマイブームだった。小1か小2あたりで、久しぶりにそれにチャレンジしてみて、愕然とした。即興の歌詞が出てこないのだ。面白い歌詞にしなきゃと気ばかりが焦った。前にやったときには口から出まかせの歌詞がいくらでも出てきたのに。この時は結局、手近な絵本の中の文章に適当なメロディをつけて録音したのだけど、子供心にそれをすごく悔しく感じたのを覚えている。

小3のとき、ノートに絵本や漫画ではなく数千字くらいのSFもどきのようなものを書いてみた。平凡な少年の前に自分の子孫が未来からやってきて一悶着、といういかにも小学生然としたよくある話だ。この現物が黒歴史の詰まった段ボールにまだ現存している。各行が違う色のペンで書かれているという、目が痛くなるゲーミング仕様が小3病感に拍車を掛けている。

羞恥心に震えつつ、原稿を読み返してみる。最初はたしかに筆が乗っているのが自分でもわかる。だけど、後半でガクッと失速する。話の展開がぎこちなく、無理やり感が出てくる。そして、かなり唐突なオチとともに話が終わるのだ。

今でも覚えている。あの時、どうしてもこの話のオチが思いつかなかった。広げまくった風呂敷を、どう畳めばよいのかがわからなかった。でも、終わらせなければ話が完成しない。

それで自分は苦し紛れに。
何かのSF童話のラストのアイディアをほぼそのままパクった。

(ちなみにググったらその童話の書名がわかった。オリジナルはどんでん返しとユーモアに満ちた結末だったようで、いかにも自分が好きそうな話で苦笑いしかできない。なお、パクって書いた小説の結末は誰にも見せていないし、今後も公開するつもりは一切ないので、「私的使用」ということで何とぞ許していただきたい)。

物語を書き上げた達成感と同時に、その行為は自分のプライドをひどく傷つけた。自分の楽しみのためだけに書いているとはいえ、禁忌を犯した自覚はあった。自分は物語のオチを思いつくことすらできない。挙げ句の果てにオチをパクるなんてことをやってしまった。そうでもしなければ話を完成させられない人間なんだ。昔からお話や作文を書くのは得意と思いこんでいたけど、まるで、全然、そんなことはなかったんだ。

自分にはオリジナリティというものがない。長々と文章を書き連ねることはできても、自力で展開を思いつけないのなら、それは創作ではない。

自分には、無理だ。

形だけ書き上げた原稿を前に、そう、強く思った。それが悔しかった。

それきり、何かを執筆することなく、もっぱら漫画や小説の読み専となって自分は小学校を卒業した(正確にはコピー用紙に漫画を描いてみたりもしたけど数ページで挫折している)。

*   *   *

中2になっていた。絵に描いたような厨二病を発症し、オタクという生き方を知った。いつしか再びノートの隅に密かに小説もどき(一次、二次)を書く人間になっていた。仲間がいるわけでもなく、同人誌を作るわけでもない、完全に自己満足のための個人活動でしかなかったけど、退屈な授業中の手すさびでもあった。

だけど、やはり最後まで書き上げることは滅多になかった。オチが思いつかない以前に、エタるパターンが増えた。中3の時に珍しく最後まで書き切った作品のあとがきを今見ると「嬉しいです。小説に結末がつくのは6年振り、しかも自分のアイデアのみで終わらせたなんて何年振りだろう」なんて書いてあって、やはり小3の時の一件が相当尾を引いていることを窺わせる。

さらにこの頃には、自分にはオリジナリティだけではなく、文章力やスキルもまた圧倒的に欠落していることを痛感するようになっていた。話としての体裁が整わないまま、書きたいシーンだけ書いて放置した断片ばかりが積み重なって、やっぱり自分は創作に向いてないということを再認識するだけの結果になった——いや、そもそも何の努力もせずに適性のなさのせいにしていただけだ。向いていないにしても、文章力は努力によってある程度までは向上するものだと思うが、何もしていないから下手なのは当たり前であって、それをなんとかしたいという問題意識も甲斐性もなかった。未だにそうだ。

当時はオタクは恥ずべきことという風潮がまだ残っており、やがて大学に進学した自分はオタ活そのものを抑制するようになった。大学生活は忙しかったし、それに自分がオタク気質であるからこそ、何かの「沼」に堕ちると身の破滅につながりかねないという予感から変な自制心が芽生えた。

何かを創作しようなんていう気はもはやまったく起きなかった。ブログに意味不明の長文は書いていたけど、それは創作でも何でもなく、このnoteと似たような自己満足の集合体でしかない。今ふと思い出したのだけど、小学校低学年の頃「大きくなったら評論家になったら?」と言われたことがある。小説家、ではなく、評論家。当時は評論家のなんたるかもわかっていなかった(今もわかってない)けど、鋭いな、とあらためて思う。それっぽい長文は書けてもオリジナルな何かを作り出す能力に乏しいことは、たぶん、見抜かれていたのだ。だから自分は生成AIの出力を見ていると自分を見るような気分になる。体裁だけそれっぽい、空虚な何か。他人のアイディアの寄せ集め。

オリジナリティの欠如はまた、大学というアカデミズムの中でも痛感することになった。学生の多くは卒論で初めて「研究」の世界に触れる。学生のうちならテーマは上から与えられることも多いけど、一人前の研究者ともなれば、自力で研究テーマを見つけ出さないといけなくなるのだ、と知った。そこに求められるのは新規性と独創性だ。オリジナリティ溢れるアイデアを思いつき、プロデュースし、アピールする能力。企画職やクリエイターに近いところがある。

先生や先輩達が面白い研究テーマを次々と思いついては形にしていくのを見て、再び自分は「この世界は、無理だ」と思った。自分でも無理やり見よう見まねでテーマを考えようとしてみたりもしたけど、例によって何も思いつかなかったし、数年の修行でできるようになるとも思えなかった。大学に残るという選択肢にちょっぴり憧れたこともあったけど、ある時点で潔く見切りをつけた。このときもやはり、何か新しいものを生み出す能力に欠けていることを強く感じた。たぶん自分には、0を1にする仕事は向かない。1を2にする仕事も、−1を0にする仕事もきっと向いてなくて、せいぜいできるのは1を1.000001にすることくらいなんだろう。

そんなふうにずっと、「何かを作り出す才能が全然ない」と思い続けてきた。

そして、その自己認識は今でもまったく変わらない。それを覆すための努力すら、何もしていない。

*   *   *

『ミウ -skeleton in the closet-』を読んだ。最近注目している乙野四方字先生の作品だ。

主人公の「千弦ちづる」はリア充女子大生で、作中で就職して編集者になる。千弦と中学で同級だった「美夢みゆ」は売れ筋作家だ。どちらも、小説に関しては天賦の才能がある。日常がTwitterと音ゲー(恐らくミリシタであろう)で出来ているという部分だけは非常に親近感を感じさせるけど、本来、あらゆる意味でもっとも自分から遠い存在のはずだ。

なのに。

なんだろう、この奇妙なリアリティは。


千弦は中学時代、美夢の書いた小説の文章の美しさに打ちのめされ、自分の書いていた小説を燃やす。

一方、美夢は、千弦が燃やした原稿を炎の中から拾って読み、文章が稚拙なのにも関わらず圧倒的に面白いことに衝撃を受ける。そして千弦の原稿を盗作して自分のデビュー作にしてしまう。数年後、それを千弦が読む。

美夢は珠玉の文才を持つけれど「面白い話」を思いつくことができない人間だ。人気作家のくせに話を考えることが苦手なのを自覚している。その帰結が、他人の作品のパクりだ。

『内容なんて何もなかったでしょ』
『何も面白いことを思いつかなかったの』
『自分でお話を考えるのが苦手だから、そうやってお話を作ってるのよ』

乙野四方字『ミウ -skeleton in the closet-

美夢のその言葉が、自分にはすごく刺さった。そうなのだ。自分も面白いことを何も思いつけない。悲しいくらいに、何も思い浮かばないのだ。自分は彼女が千弦の原稿をパクってしまったその心境がわかるような気がした。自分もかつて人様の小説をパクった、業の深い人間だからだ。

そして、フィクションの中とはいえ人気作家ともあろう人がそんな衝撃の告白をして平然としていることで、何だか少し気が楽になるような感覚があった。もちろんパクりは許されることではないし、それを正当化するつもりは一切ない。でも、自分と同じようなことを考えている人間がいたというのはなんだか仲間ができたような気がしたし、そんな彼女が創作の第一線で活躍しているというのは不思議な安堵感があった。パクりはいけないけど、のだ。きっと。

そして、パクりを知った千弦の言葉に自分はまたちょっと泣きそうになった。

「嬉しかったんだ。自分で燃やした物語が、稚拙な妄想でしかなかった物語が、完璧な形で小説になってた。あれはこういう物語だったんだって、初めて理解できた気がした」
「自分には無理だと思って、自分の小説を燃やした。自分で、自分の世界を燃やしたんだ」
「でもあの原稿をミユが拾ってくれて、ちゃんとした小説にしてくれて……」
世界を作りたいと思っていた。だけど、その種を作るだけで、芽吹かせることはできなかった。それでふてくされてしまった種を、ミユが拾って、芽吹かせてくれて、花まで咲かせてくれた。
「だから、怒るどころか、ミユにはむしろ感謝してる」

乙野四方字『ミウ -skeleton in the closet-

これと寸分違わずまったく同じ感情を、かつて自分は持ったことがある。

状況や境遇はまるで違う。自分は別に原稿を燃やしてはいないし、きっかけも別に他人の作品ではない。書くのをやめたのはただひとえに自分が、アイディアもオリジナリティも文才もスキルもない、千弦と美夢の「欠点」のほうだけを集めて煮詰めたような人間だったからというだけだ。そして何より違うのは、自分はネタを拾ってもらったわけでも何でもなく、ただ勝手に自分がかつて捨てた物語の幻影をそこに見ただけってことだ。言いがかりも甚だしいレベルだ。

なのに、こんなにも的確に、あの時の感情を千弦は言葉にしてくれている。かつてあきらめた妄想、自力では描き切ることのできなかった世界の断片が、数周回うわまわる形で完璧にひとつの物語として昇華している。それをいきなり突きつけられた人間の気持ちを。

あの、ただただありがとうという言葉しか出てこない境地を。

千弦もあの、黒歴史が「成仏」する感覚を味わったのだろうか。なんてことを考える。そしてこの二人の凸凹コンビが今回再び、自分のもうひとつの黒歴史——小3のあの日のトラウマを少し軽くしてくれたのかもしれない。そんなふうに思っている。

もちろん、自分と彼女たちには圧倒的な彼我の差がある。相変わらず何も面白いことを思いつかない。自分に創作の適性がまるでないのはやっぱり確実で、それはこれからも変わらないだろう。それを言い訳にして安住し、何とかしようという根性もない。そして、とびきり面白いプロットを考えてくれる千弦のような相棒も、それを流麗な文章に仕立て上げてくれる美夢のような相棒も、あいにく自分にはどちらもいない。小説だけじゃない、絵も、漫画も、音楽も、写真も、工作も、プログラミングも、このnoteも、みんなそうだ。今日も自分はキラキラしたクリエイターたちの作品を眩しそうに眺めながら、己の創造性のなさに勝手に絶望し続け、逃げ続け、諦め続ける。

でもまあ、別にそれで食べていこうと思っているわけでもないのだし、それでよいんだろうなと思う。むしろその絶望の存在を許してやりたい。何しろ千弦と美夢でさえ、それを味わったことがあるのだ。いま創作の第一線にいる彼女達でさえ。面白い話をまるで思いつけないなんて小説家にとっては無縁の悩みだと思ってたけど、そうじゃなかった——それだけで、十分だった。オリジナルなものを創り出せないことを別に恥じたり惨めに思う必要はない。そして、それであってもなお、なにがしかのものを作ろうとする行為は許されているんだ(パクりはダメだけど)。そんな開き直りの精神が大事なのだと思う。彼女たちには、心から感謝したい。


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