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【P-MODEL】ΔP集会(1999.05.04.TUE 六本木EchoHouse)

【概要】

『ΔP集会』(読み:デルタピー)
1999年5月4日(火)六本木EchoHouse
昼開催(13~14時の辺りに集合だったかと)

■参加応募条件
・P-MODELを愛しており
・秩序と無秩序を兼ね備えており
・いざとなったらノることが出来る
・グループでの応募ならさらに優先
・出来れば男

【発端のボタン】

1999年4月27日、平沢さんの個人サイト(だったはず)で突然
『5月4日に集会を行なうので人体を捧げよ』
という告知が。

書いてあるのはその一言と集会名、応募条件、応募先のみ。内容や場所などは一切明記されず、質問も一切受け付けないとのこと。
半日程度で締め切られ、当選者にのみ時間と場所が告知。(私はお願いしてたつろーさんに譲っていただきました。その節は大変ありがとうございました…)

以下、ヘッダー画像にもある、当選者に知らされた地図(を当時モノクロ印刷したやつ、を今スマホで撮ったやつ)

画像1なぜ左を北にしたんですか平沢さん

六本木駅周辺は2000年代に再開発が行われ、今とは様子も違うので説明しづらいですが、簡潔に描かれたこの地図ですね、駅からの道としてはちょっと分かりにくいんですわ!
平沢さんの作ったこの地図頼りにした人は、みんな道に迷ったんですわ!!
完全なる地図には道が続いてねえんですわ!!!!(?)

【オープン】

六本木エコーハウスというのは元・S-KENスタジオ。
1970年代末に東京ロッカーズ(フリクションやLIZARDなど)が毎週日曜にライブを行っていた六本木のスタジオです。それがその後、マグネットレコード関連のスタジオとなったようでした。当時のビル上階には今は亡き興行会社フリップサイドも。

のちにエコービル自体も取り壊されてしまい、2020年現在は六本木ヒルズの一部(けやき坂テラス)になっています。
雨の中を右往左往して何とか到着。集合は13時半とかだった気がします。

ビルB1Fはミキシングルーム。その階下が収録ブース。広さはおそらく学校の教室より気持ち小さめ。ライブスタジオだった時は定員50名だったそうですが、ここにステージもあったことを加味すると、みっちみちだったのでは…。奥行きはそこそこあるけど幅が狭く、しかし天井は高い。

画像2

応募条件の「いざとなったらノることが出来る」「出来れば男」、そして場所がスタジオという時点で、録音でもするのだろうと睨んでいましたが、その通り。しかし参加人数は30人も居なかったような。
ふとミキシングルームを見上げると、そこには福間さんのお姿が。麗しや。

【ホンモノは違う】

壁際にいくつか置いてある椅子に座ったりしつつ待っていると、

サトケン「ヒラサワ、ユーティナイカーップ?!」
(タイ語で「平沢さん、どこに居るのお?!」)

スタッフのサトケンさん(のちの賢者sato-ken)によるマイクテストでした。さては平沢さん、GWの日本の道路事情を忘れて遅刻してますね!
英語と日本語を織り交ぜた、大変品のないアナウンスが続き、思わず心温まる我々。(内容はご想像ください)

14時半になり平沢さんようやく到着。
その直後に参加者の1人が大遅刻で到着。ドアの開けざまにデカい声で、

「チョー迷ったー!!!!!」

サトケンさんが喋っている最中だったこともあり「平沢より遅れるとは何事か」「遅れてきたのにエラそうな奴め」「今日のリーダー役はお前がやればいい」「大体何がチョーだ」と散々怒られ、その日1日ずっと「チョーさん」と呼ばれるように。

彼こそがのちのFMおだわら「アオバシアワー」のラジオパーソナリティである。持ってるもんが違う。

【注文の多い録音スタジオ】

ミキシングルームの平沢さんからアナウンスが入り「本日は遠い所・近い所・中くらいの所からお越しいただき」とご挨拶。ちなみにこの昭和なフレーズは、サトケンさんが先に散々連発していたものなので、何ですか、この仲良しめ。

他にも「脱衣所は後方にあります」と言われ、これは次に「クリームを塗れ」と言われるのでは…?と戦々恐々する我々に一言。

平沢「本日は炎と洪水のスペクタクルショーへようこそ」

なんやて。

【炎と洪水のスペクタクルショー】

これは平沢さんが音楽を担当した伝説のショー、志摩スペイン村「パルケ・エスパーニャ」にかつてあった「ロストレジェンド~失われた伝説の大陸~」のキャッチコピーです。
舞台装置からだいぶ離れた席でも「熱ッ」となる程の炎、ラストでは大量の水(500トン)が客席一部にまで放出される為、大げさではなく本当に「炎と洪水のスペクタクルショー」だった屋外イベントです。

このショーのメインテーマ曲は平沢さんと松本かよさん(「OH MAMA!」でお馴染み)のデュエットですが、コーラス部分はファンの人たち。
1998年に開催された第5回万国点検隊「世界細胞組合合唱鉄橋団」において、バンコクの小さなスタジオで収録したもので、ボーカルブースも狭いのにグループ毎に何人も押し込めて何度もスパルタ指導で歌わせたとか…(変な旅行で疲弊している素人集団相手に…)

「炎と洪水のスペクタクルショー」発言があったということは、もしや今日も何か歌わされる…?とハラハラしながら、マイクチェックをさせられる我々。

ひとしきりチェックが済んだところで、

平沢「では、本日の集会を終わりたいと思います」

なんやて。

【ここは80年代のライブハウス】

平沢さんからは本日の説明など。といっても、何のために録ってどう使うか等の説明は一切無し、最後まで無し、清々しく無し。
平沢さんや福間さんがミキシングルームから収録ブースへ降りてくることもなく、音声はマイクを通して、合図などは鏡越しで行われました。

さて、1980年代のS-KENスタジオはニューウェーブのメッカですが、出演者が観客から厳しいヤジを飛ばされたり、物が投げつけられたり、罵られることも当たり前の、治安が大変な場所でした。
今回はそんなライブハウスにいるという想定で作業をします、とのこと。

平沢「では、炎と洪水のスペクタクルショー第1弾」

お気に入りじゃないですか。

【Rec-1. ガヤガヤを録る】

という訳で、80年代のS-KENスタジオにタイムスリップしたという想定で「開演前のガヤガヤ」の音を録音。

くどいようですが、何故そんなものを録るのか我々は一切理解していません。…が、当時「http」(アルバム「Rocket Shoot」収録)の録音に散々慣らされた我々は、素直で従順な模範囚であります。

■サトケンさんからの注意点
・年月日が限定される会話はNG
・「初めまして」もNG
・声のトーンは録音ごとにちょっと替えること

応募条件にグループ優先とあったのは、この為なんですね。

【Rec-2. 歓声を録る】

「ステージにP-MODELのメンバーが出てきた」と想像して反応する声を録音。録るのは3種類。

【1】メンバー登場時(歓声NG)
【2】楽器を試し弾きした時(数人のみ軽く歓声)
【3】「美術館で会った人だろ」のイントロが流れた時(イントロ10小節間とにかく盛り上がれ)

■サトケンさんからの注意点
・メンバー登場時は喜ばない(出てきたぞ、とザワザワする)
・叫んでいいメンバーの名前は初期メンバーの4人のみ
・拍手は無し、声援のみ
・80年代の治安の悪いライブハウスを前提に

楽器の音は無く、福間さんのキューのみで反応。
ミキシングルームを鏡越しに軽く見上げつつ、虚空に向かって叫び続ける我々。正気とは何ですか。

ちなみにミキシングルーム内の会話は、基本マイクを通して場内にも聞こえており、平沢さん、福間さん、鎮西さんの作業上の打ち合せも、マイクをオフにされない限りはずっと聞こえていました。そんな中、鎮西さんにミキシングの要望が伝わらず、平沢さんがやんわり一言。

平沢「…あなたエンジニアでしょ?」
サトケン「暴力はやめてえ!」(小芝居)

鎮西暴力エンジニア、まさに生誕の瞬間である。(違います

【Rec-3. 拍手を録る】

ライブ中の拍手を録音。録るのは4種類。

【1】拍手のみ
【2】拍手とガヤガヤ
【3】曲前後の拍手と歓声
【4】アンコールを求める拍手と歓声

■サトケンさんからの注意点
・当時のノリとして拍手は「強く早く小刻み」
・タダでもう1曲聴こうという卑しい根性を見せる

「平沢さぁ~ん♡♡♡👏」というおねだりのアンコールではなく、「足りねえ!もっとくれ!!」の精神なので、なるべく粗野な拍手と歓声にしなさいということでした。

【Rec-4. 台詞を録る】

さて、男性かつ声を張れるチョーさんは大活躍。
単独の歓声録りの他、「プロダクションバンド!」と憎しみと嫉妬を込めて叫ぶ大役を、ミキシングルームからご指名を受けて録音。

■サトケンさんからの注意点
・「あの不愛想ヅラに言ってやるつもりで叫べ!!」

そうだそうだ、あの不愛想ヅラめ!……なんですって?

チョーさんは集合に遅刻したので一番後ろに居ましたが、それでは声が届きにくいと最前(マイク前)に呼び出しを食らった上、さらにマイクに近づけるよう、イスの上に立てと指示され、完全に注目の的。空気を読んでおもむろに服を1枚ずつ脱ごうとするチョーさん。落ち着いてください。

周囲の拍手込みの台詞では声が埋もれてしまうということで、1人で台詞のみ収録。固唾をのんで見守る我々。
叫んだ直後、ミキシングルームの平沢さん、福間さん、鎮西さん、全員が一斉に無言でひとさし指を立てて「もう一声」と合図w

結果、OKが出てこのシーンは完了。お見事!

【休憩を取る】

ミキシングの間は基本(スピーカーから自分たちの声を聴かされる羞恥プレイをされながら)休憩。イスは数が無いので、冷たくて硬い床に地べたで座ります。監獄なので問題ありません。
叫びっぱなしということもあり、飲み物も差し入れされ、ありがたいことに紅茶や日本茶など、発声中の喉には悪いとされている飲み物ばかりが配られますw

サトケンさん曰く、平沢さんのポケットマネーだそうです。
絶対経費だと思うけどありがたや…。
買いに走ったのも平沢さんだそうです。(※)
絶対ウソだけどありがたや…。

※追記:チョーさん他、男性陣がパシらされたとのこと
(喉に悪い飲み物ばかり等と書いてごめんなさい🙇)

なお、福間さんは今回の収録途中で次のお仕事へ行ってしまいましたが、代わりに登場したのは何と元P-MODEL、UTS開発者の高橋芳一さん。P-MODELのシステム1担当から、元祖システムにバトンタッチとは何とも粋。

当時既に中野テルヲさんとライブをしてらしたので、新参者にも馴染みはあったものの、平沢さんと高橋さんが2人で並んでる姿は、当時としてもかなりレアで、沸きまくる我々。

【Rec-5. 名前を録る】

田井中・田中・秋山・平沢の名前をそれぞれ叫んだ声を録音。

■サトケンさんからの注意点
・秋山さんは黄色い声のみを必要とします

そりゃそうよね。
女性たち全員で「秋山さーん♡♡♡」で一発OKでした。そりゃそうです。

【Rec-6. 反応を録る(MC編)】

ライブ中の平沢さんのMCに対して反応する声を録音。

問:ステージに出て来た平沢が開口一番言う台詞はどれだとあなた方は盛り上がれますか
A:「バカヤロー」
B:「ヒラサワです」
C:「ケダモノです」

1987年6月のP-MODELライブ「Shoot the Monster」でのMC「ワタクシたちは今日はケダモノです!」を思い出し(当時を観たことない人もみんな知ってる符丁というやつです)、満場一致で「ケダモノです」に決定。

選んではみたものの、これまでと大差ない盛り上がり方になってしまった為、「シンプル過ぎる反応に平沢が涙を流して喜んでいる」と、サトケンさんのどうでもいいウソを挟みつつ、録音はまだまだ続きます。

ちなみにサトケンさんのどうでもいいウソは他にもあり、

・福間は金の亡者なのでさっさと次の仕事に行った
・平沢は大正時代、陸軍大将の前で怒りにまかせてギターを叩きつけた
・その時、音楽業界の反逆児ヒラサワは産まれた

等々…休憩中も本当にずーーーーーーっと、いや本当にずーーーーーーーーーーっと喋ってましたね…今思えば我々のテンション下げさせないようにしてくれていたのでしょう。
(※喋りたいだけだと思います)

【Rec-7. 反応を録る(アクション編)】

「平沢さんが急に怒り、ステージでギターを叩き付け、楽屋に引っ込んでしまった」に反応する声を録音。我々は正気を失っているので、もはや何の疑問も持たずにこの指示を受け入れます。

この時はサトケンさんが合図のタイミングを説明しようとして「今から平沢がギターを投げますので」と言ってしまったのでさあ大変。えっ今ここで平沢さんが?!ヤッター!!!と盛り上がりまくる我々。

サトケン「実際に投げるわけじゃありません」
我々「えーーーーーーーー!!💢」
サトケン「そのワンパターンな反応に平沢が泣いてます!!」

泣いてりゃいいんですよ!!(キレる

そろそろ録音のための反応も慣れてきつつありましたが、不愛想な平沢に慣れている99年のファンも、ガチギレする80年代の平沢にはどう反応すればいいのか分からず、「えー!」「ふざけんな!」程度で語彙が尽きてしまい、やがて沈黙に。

その静寂を破って、

チョーさん「…ヒラサワ…?🥺」(めちゃ心配した声)

ミキシングルームも大爆笑。
やはり持ってるもんが違う。


殆どの参加者が当時の空気感を知らないため、さすがに平沢さんから解説。
当時のライブは、ファンの間で「如何に平沢の機嫌を損ねないようにするか」という張り詰めた空気があったそうで、つまり

・曲が終わって喜び過ぎても平沢は怒るかもしれない
・かといって静かにしていたらそれはそれで怒るかもしれない
・とにかく何が原因で平沢が怒って帰ったのか分からない

を踏まえて反応してくださいとのことw
(いやさすが90年代前半まで女王様と言われてただけありますね…)

平沢さんが直々にミキシングルームからキューを出して、一発OK。

【Rec-8. コーラスを録る】

平沢「さぁ大詰めになって参りました、炎と洪水のスペクタクルショー」

という訳で、やっぱりあったコーラス収録。
といっても「子供たちどうも」の「どうもどうも」と「子供たちー!」(後半の「今すぐ出てきて…」以降のとこ)の箇所だけです。

通常のボーカル収録であれば、声だけが録れるようにオケはヘッドホンで聴きますが、この人数では無理なので、引率役はまたしてもチョーさんにご指名。

平沢「**くん(※チョーさん本名)、ヘッドホンは持って来てますね?」

平沢「標本の皆さんにはヘッドホンと水着を持ってくるようにお伝えしたはずです」

標本…いや聞いてないです…ていうか最初に「脱衣所は後方にあります」って言ったやつ、それですか…

キューボックスが運ばれ、ヘッドホンの調整までしましたが、やはり曲無しでは全員でテンポを正しく取ることが難しく、結局スピーカーから音を出すことに。

■サトケンさんからの注意事項
・声が揃いすぎてはダメ
・音階も整えすぎてはダメ(ライブ感が大事)
・指定箇所以外も小さめなら一緒に歌って良し

こちらは1曲フルで、計3回ほど歌いました。
た、楽しい…(※カラオケに「2D~」しか入って無かった時代です)

なお、ファンの歌うコーラスの録音に関して、平沢さんのお気持ちは下記の通り。

平沢「私は(オマエタチ相手に)ちゃんとしたコーラスを録るのは諦めています。思い起こせばタイランドの空の下…」

もう許してあげて…

【クロージング】

全てのテイクに、平沢さん高橋さん鎮西さん全員のOKが出たところで終了。

サトケン「本日は遠い所・近い所・中くらいの所からおいでくださいまして、ありがとうございました。最後に平沢よりご挨拶です」

平沢「本日は遠い所・近い所・中くらいの所からおいでくださいまして、ありがとうございました。これにて集会は終了です」

仲良しどもめ。

収録中に「(オマエタチは)今日のことを家に帰って何と説明するのか…」とボヤかれましたが、そもそも平沢さん自体の説明が21年経った今でも難しいんですけどね…。

サトケンさんより「平沢さんはミキシングルームに居るので」とやたら念を押されたので、参加者みんなで並び1人1人ご挨拶させていただきました。へへえ(平身低頭)

そしてこの日からほどなくして「Virtual Live-1 Live at Roppongi S-KEN Studio 1979」の告知が出て、これだったのか…と悟るのでした。

▼Virtual Live-1発売チラシ(出典:VL-3「美術館やれー!」役の人
http://www.pinkytrick.com/p/img/flier/1999vl-1.jpg

【後記】

集会の間、平沢さんが事あるごとに言っていた「炎と洪水のスペクタクルショー」こと、ロストレジェンドは現在は全て終了。
終盤行われていたものも、東日本大震災の影響により内容が一新したバージョンでしたが、一番最初の平沢さんの曲が使われてるバージョンは、下記でほぼフルで観られます。(ありがたい)

監獄レポートのお口直しにどうぞ。
ロストレジェンド納品時の現場裏話は平沢さんのついろぐへ。

ショーの最後にドバーっと大量の水をぶちまけたいがために物語が上演される

失礼が過ぎるw

以上で改訂レポを終わります。

【お知らせ】
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