【Album Review】 Kamui, 《YC2》 (2020)
Artist : Kamui
Album : YC2
Released : 2020.12.19.
Label : Mudolly
Genre : Hip-Hop, Trap, Emo Rap
本作を再生して間もなく聞こえるのは、Kamuiのラップではなく、なんかお馴染みで、かつ不慣れなボーカロイド『初音ミク』の音声だ。「もしも選択することで未来が変わるのなら、あなたはどうする?」と話者に警告するイントロは、コンセプト構築のために良いとして、ほかにも〈星空Dreamin'〉、〈everything is dancing〉などのトラックまで彼女が主導する姿を見れる。アルバムの近未来サイバーパンク世界観のために初音ミクの存在は適切な選択だろうが、ところどころ登場するミクのパフォーマンスは(意外と優れたリズム感とは別に)不安定なトーン・アンド・マナーのせいで多少は失笑せざるを得ない。しかし、それは本作の弱点として作用するのか。
もう一つ。前半でKamuiは中毒性ありつつフローの速度を自由自在に駆使する素晴らしいラップパフォーマンスを見せるのだが、初音ミク主導の〈everything is dancing〉で流れが喚起された後、〈You'll Never Know〉で急に音程も拍子も合わないシンイングが登場するときに感じる当惑感。どれだけ意図されたとしても、いい感じだったのに急になぜ?という質問は必ず出てくるはずだ。
文章をこう始めるつもりはなかった。本作全体的に一貫なムードを漂わせるプロダクションと、Kamuiのラップ、シンイングラップを行き渡るパフォーマンスがどんな面で素晴らしいか語り、ナラティブをおさらいした後、惜しい部分として上で指摘した段落を簡略に言及して終わらせるつもりだった。(しかも僕は初音ミクのフィーチャリングを悪く感じない。どころかはまっている。)にも関わらず、割と完成の密度が高い本作の間に、こんなにも好悪が分かれそうな要素を露骨に配置した理由は何だろう?
本作を正統的なトラップと見るのは難しいだろうが、とりあえずその影響内のジャンル音楽として、Travis Scott流のムードをレファレンスにしてハードコアに受け入れて継承している点は否定しがたいだろう。だから本作については基本的に『トラップ』の観点から見ようと思う。もちろんトラップは単純に音の領域を超え、金、麻薬、銃器などの危険なライフスタイルを描く文化的な文法が背景にある。それが(日本、韓国などを含め)各国に「大衆音楽」として輸入することで文化の専有という批判を避けられないとしても、とりあえずその「文法」をどう駆使していくかは重要なカギになるだろう。
だから本作のサイバーパンクコンセプトはトラップで使われるノワールなイメージを実現できる世界観になる。〈YC2 Intro〉の最後に「夢なのか?」とつぶやき、〈Runtime Error〉アルバムヴァージョンの最初に「夢なら覚めないでほしい」とつながるところで、本作の背景が仮想現実であることを露骨に現す。前半部で広まるエネルギーは話者が作り上げた世界の下で発散される。全体的にサウンドスケープが誇張されて包む感じもあり、特にそんな世界観自体がサウンドで上手に実現されたのは、題名ごとく機械的で疾走感あふれるトラックが印象的な〈Tesla X〉だろう。
本作の完成度に大きく寄与するのは全曲のフック(hook)、つまりサビに掛かってるといっても過言ではないだろう。本編が始まる〈Runtime Error〉の中毒性あるメロディーに密度高く詰まったライミングが逸品のフックは、アルバム全体に対して期待せざるを得ない。そして〈ZMZM〉でもやはり直観的なライムを通して聴者を没入させる。〈everything is dancing〉以降、急変するナラティブと雰囲気の中でも没入感を失わずにつなぐのは他でもなくフックの中毒性である。さらに所々で登場する初音ミクまで作品に溶け込むのもアーティストのリズム感が適切に適用されたからだろう。ヴァース(verse)もまたシンイングラップとスピーディーなラップを行き来して直観的なライムを中心にエネルギー溢れるパフォーマンスを見せる。各曲の長さは短い方だけど、フックで曲の中心を取った後、短く強烈なヴァースで各曲にインパクトを残す。
それらがほぼ完成度高くなされたため、一番最初に言及したトラックの異質感がもっと引き立って見えるのだ。いっそ、初音ミクのナンバーは密な音から雰囲気を転換するトラックとして機能すると思って見よう。なら、ただ不協和音な〈You'll Never Know〉、〈Hello, can you hear me〉を意図的に入れた理由は何だろう?
〈You'll Never Know〉から連なる〈Tetsuo〉の背景が話者の過去と現在を行き渡るのは、少なくとも以前のトラックを基点にナラティブの方向が転換されたのを知れる根拠になる。過去に話者の恋人の事件を告白する瞬間の衝撃は、ただ幻想にとどまっていた本作の世界観を現実に連れ戻して、中心メッセージの「世界・未来を変える」という主題に対する読解の方向を変える。「俺の本名をさらせばグーグルであの日の記事が出てくる。今じゃRolling Stone誌やファンが俺を記事にする」という歌詞も同様だ。次の曲〈星屑〉でも意図的にオートチューンを排除した不安的なマンブルラップが見れるが、メロディーのキャッチさを逃さず感情を効果的に伝える。〈疾風〉でパトスが爆発するパフォーマンスは前の曲と違う様子を見せるが、やはりエモ・ラップのプロダクションとキャッチなフックで程よくつなぎ、〈Tetsuo〉から連なる現実世界を変える野望の物語に傍点を打つ。それは〈YC2 Intro〉で初音ミクの声で運命を変えれるかと訊いたのとつながる。過去に戻った〈Tetsuo〉 - 〈星屑〉 - 〈疾風〉の三連打を両サイドで包むマンブルラップナンバーは、話者の過去と未来像の間に挟まった現在の無力感を表すための選択だったと考えられる。
だとしても、質問はそのままだ。初音ミクの声は世界観構築に大きな役割を果たすが、彼女が主導する間奏曲は本当に良いタイミングで与えられた機能を果たすのか?いくらナラティブの転換と完結のためといえど、パフォーマンスを二曲にもかけて意図的に崩す必要があったのか?前半部のサイバーパンク世界と後半部の過去に基盤した話は適切に対比されるのか?
そうやって残る疑問にも関わらず、Travis Scott流のムードに疾走感を加え、サイバーパンク的な世界観とナラティブをもって見せる素晴らしいパフォーマンスの堅固さは容易に崩せないと思う。結局そう言った疑問はまず過剰で密な音を喚起させて作品のバランスを取るだけでなく、とにかく話者と世界の間の距離を意図的に置かせる役割を遂行し、結果的にアルバム全体のナラティブ内に十分に包摂できるからである。そして何より、そうやってスポットライトが集中された区間で、トラップ文法を彼のキャラクター性に変奏して現す瞬間ごとに感じられる快感は、話者が作り上げようとする未来のブループリントに向かって、魅力的に導くからだ。「未来は一方向だけに進んでるわけじゃないわ」
おすすめ度:★★★★