見出し画像

【曲レビュー】이랑(イ・ラン), 〈환란의 세대(患難の世代)〉(2020)

Artist : **이랑(Lang Lee) (feat. 아는언니들(Unnie Choir))
Track : 환란의 세대 (The Generation of Tribulation)
Release : 2020.06.20
Label : Sweet Dream Press, Helicopter Records
Genre : Chamber Folk**


死は本当に悲しむべきものなのか?自殺は本当に間違った選択なのか?巨大な壁に四方が塞がったような悲しみ、絶望、無力感。そのなかでもういっそその壁に頭ぶつかって死んでしまいたい時がよくあるのではないか。

この曲を初めて聴いた時の当惑感は、こんな質問を出していった。真心と捻りの間を目を瞑って爆走する、スリルのある圧倒的な感情に浸って涙を流したりもした。導入部で歌われた仁川空港と成田空港での別れの物語は、僕にもお馴染みの空間で、またそこに行けるか、一度渡ったらまた戻れるかわからない、本当の意味での『お別れの場所』になってしまった。ウイルスの恐怖が全世界を覆った、本当の『患難の世代』であるが、実は本曲、4年前に弾き語りヴァージョンで発表されたのである。患難って結局いつものことだ、というベタな結論には至りたくないが…。

曲中、仁川空港と成田空港で発生したお別れのシーケンスで、キーボードとチェロでぐっと緊張感を上げ、話者の思いがだんだんと否定的に墜落する過程ではむしろ軽快なリズムのピアノが目立つ。そして「私たちが死んでしまえば 仕事をしなくてもよく」から始まるハイライトの輪唱は、メインボーカルとコーラスの境界(もしくは位階)を消して行われる会合であり、同時にある種の『崩れ』である。

僕はここで使われた日常的かつ断固たる言葉が好きだ。それは堂々だから矛盾していて、現実感のある幻影であるからである。こんな風に矛盾は続く。キーボードとチェロが古風的に響く同時に、鋭い感じでダブリングされた声が拍子を意図的に無視することで作り出す奇妙な瞬間だったり。これからもよく間違える拍子は僕にとって何かを放棄した感情のように聞こえてきたり。曲のスケールが大きくなるにつれて古風な伴奏は軽快になっていったり。歌詞を支えてきたUnnie Choirの合唱がやがて滅亡の混沌に一緒に参加したり。

実は、僕は曲の中で本当に『患難』と呼べるものの正体を見つけ出せなかった。滅亡に向かっていくスケールの始まりは、ただの(と言っては何だが)友達とのお別れだった。その悲しい感情から始まった考えが止まらずに増幅していく過程を捉えたのである。特に、「この世代(...)が過ぎ去った後に ようやく君は悲しく泣くのかい」と言うところを見ると、この後、緊張感が爆発して行われる死の礼賛は、もしかすると話者の愛する『君』だけに送る愛憎の歌なのかもしれない。

しかし、今は2020年である。全地球が患難に置かれたこの時空の中で、僕らは(特に芸術人ならばもっと危うく)日常を失って、個人一人は無力にしか見えない。空港で告げるお別れがもっと意味深く感じられる今年。ほぼ全人類が共有する患難の時代の中、「一度にすっぱりみんな逝ってしまう滅亡」を「あああ あああ ああ 最高 あああ あああ ああ すっきり」と礼賛する本曲が再登場した。死んでしまおうという勧誘は本気なのか、反語なのか?曲の中間と最後に鳴り響く叫び声ははたして歓声なのか、絶叫なのか。この死は自ら選んだものなのか、必滅的な運命によるものなのか?だいたいこんな二分法的に正解を探そうとするのは無意味なまねではないのか?その無意味な質問すらも投げさせるために選ばれた言葉ではないのか?物語も、考えも、走る、目を瞑って。そして、最後の叫び声の後、消えた、ハウリングだけを残して。

物語の神経症的な面も注目してみよう。対象の関心の方向を話者の方へと向かせるため、自虐的な想像をする。その想像は止まらず増幅していき、お別れした『君』に途方もなく『世代』という概念を投影する。そしてやがて、似非宗教の昇天騒ぎを見るような集団的滅亡(解放)のイメージにまで至る。生の意味、意思を失い、否定的な考えのサイクルが増幅するのを断ち切れず、自己・他人による死への解放を望む姿は、下手に判断するのは迷えるが、典型的なうつ病症状の発現だと見られると思う。そしてこれまた問題的な断言かもしれないが、僕は本曲での死を通じた堂々とした『解放』の宣言が、同時代の一番個人的でありつつ普遍的な感覚を捉えたと考えている。

死は解放である。能力が資本になった時代に、故人に背負われた義務と責任は過度になっていく。能率的な強迫に苦しみながら、社会的に学習された無気力は生の意味を失わせる挙句、宗教までちゃんと機能しない。そんな無力感、脱力感によるうつ病と自殺が蔓延な社会で、果たして『死は解放である』という答えのない命題を積極的に否定させれる装置は存在するのだろうか。その延長で、本曲は無力感に浸った当事者としての感情状態を劇的に昇華するという点で、ある種の時代感覚の代表性を得ていると思われる。

そんな考えに至って、いくつかの音楽が浮かんだ。本曲と似たコンセプトで、必滅的運命を語った、Jcelfの〈지구 멸망 시간 (地球滅亡一時間前)〉。それから、青少年期に芽生えた憂鬱と怒りを代弁してくれた、Epik Highの《Remapping The Human Soul》アルバムと、Nellのほぼ全曲—特に《Healing Process》と《Saparation Anxiety》アルバムが好きだった。King Crimsonの予言的な名曲〈21st Century Schizoid Man〉と、それを引用して自身の神経症状を華麗に昇華させた、未だに全世界を騒がせている、Kanye Westの〈Power〉。SNS時代の相対的剥奪感と疎外感、憂鬱を歌った、DEANの代表曲〈instagram〉。パニック障害の自閉的視野を抑圧された音と脅迫的な韻で表現した、FANAの《FANAbyss》アルバム。ポップな感覚と神話的な言語で自殺問題を鋭く引喩した、人気新鋭サブカルチームDareharu(달의하루)の〈염라(Karma)〉、 〈너로피어오라(Flowering)〉シリーズ。そういや、JUSTHISの名盤《2 MANY HOMES 4 1 KID》でもうつ病の治療が音盤の重要な素材として使われている。放送番組《高校ラッパー》シリーズで話題になったVINXEN、Bully Da Ba$Tardなどのアーティストが呼び出した、青少年うつ病と学校外少年などのイッシューも欠かせない。トランスジェンダー当事者で電子音楽プロデューサー・DJ、KIRARAの、韓国大衆音楽賞の授賞式で言った言葉も浮かんだ―「友達が自殺しないでほしい。」

韓国の00年代後半から10年代前半に、多くのインディー・バンドが人気を得た時期がある。その時の共通した意識を誰かは『敗北感覚』と説明した。僕はそれに加えて、10年代後半にヒップホップジャンルを中心に展開された『(精神病)錠剤』素材が多く現れたことも、そこから薄くつながるもので、また当時の韓国大衆音楽を代表する普遍的な感覚ではなかったろうか、と推測してみる。

その波長の中で、本曲は、未だに個人の問題とみなされがちな、学習された無力感及び自殺の問題を、『患難の世代』というキーワードを再び持ち込むことで、これを全地球的災いと一緒に結んでしまう。個人が破片化された時代に、普遍的に共有する問題意識。その矛盾的で複雑な絶望の感情をそのまま前面に曝け出した、とのことで、聴くたびに来る感情的動揺の原因を説明したい。

最初に戻ってみよう。「また誰かが死んだみたいに泣いた」という初めのライン。5分以上続く混乱状態の騒ぎの根源には、大事な人を想う涙がある。僕らの絶望は、一番人間的な希望から始まって、とにかくこの死にそうな感情のインスピレーションは、ちゃんとバンド構成+合唱という形で、色んな人が集まって作った歌として、世に出た。患難の世代である我々は、いつも塞がり、絶望する。共に。


おすすめ度:Rare


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?