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普通の大学生がうつ病になった話③祖母の死(大学3年、4月)


前回の記事から時間が空いてしまいました。私の記憶も徐々に薄れてしまっています。ですが、できる限り当時のことを思い出して書き留めていきたいと思います。


京都奈良旅行から帰った次の日です。

ついこの間一緒に旅行に行った、祖母が亡くなりました。


その日、私は旅行の疲れがばっと出て、家で動けずにただゴロゴロしていました。

その日は平日で、両親は仕事に出ていて家には私ひとりでした。お昼過ぎ、急に父が玄関を開けて帰ってきました。「ただいま」の一言もなく無言でリビングのドアを開けた父の表情は暗く、でも焦っている様子でした。

私は驚いて「どうしたの?」と聞くと、父は「おばあちゃんが倒れたって。今から行ってくる」と答えました。

私「倒れたって、どういうこと?大丈夫なの?」

父「何もわからない。とにかく行ってくる。一緒に行く?」

そう聞かれて私は、すぐに出れる状態ではなかったですし、疲れて動けなかったうえに、その場に行くことが怖くて、一緒に行くことはしませんでした。ですが焦っている父のことも心配で、こう言いました。

私「気を付けて行ってきてね」

母も家に帰り、私たちはとにかく無事を祈っていました。こういう状況特有の、何とも言えない緊張感がありました。

母方の祖父母と父方の祖父は、既に亡くなっています。こういう言い方は良くないかもしれませんが、私には、最後の、たった1人のおばあちゃんしか残っていませんでした。

危篤を知らされ、祈ること以外私にはどうすることもできない中で、臨終を知らせる電話が鳴らないでと願い続ける、これまでに3度経験してきたこの気持ちを久しぶりに思い出しました。

夕方ごろ、電話が鳴りました。

父からの電話を受けた母は、その瞬間泣いていたと思います。

とても虚しい思いでしたが、正直に言うと、そのとき、祖母に気を遣ってきた母の苦労がもう無くなるのか、と少し安堵してしまった気持ちもありました。


次の日、私は以前から友人(幼馴染)と約束をしていたため、約束通り出かけることにしました。気分が沈むのは、運動していないせいかもしれないと思い、24時間ジムに一緒に入会しようと言っていたのです。

私はできるだけ昨日の出来事を気にしないようにしていました。今思い出しても、なぜだかそこまで気にせずにいられた記憶があります。以前から、人の死を想定していたからかもしれません。祖母の家に遊びに行くときは決まって帰り際「これが最後かもしれない」なんて不謹慎なことを心の中で考えていました。

とにかく、この日は地元のジムを2か所まわって、安い方のジムに入会しました。

余談ですが、入会しなかった方のジムに、中学時代の同級生が働いていました。私は気付かずジムを後にしましたが、外に出てからその同級生が追いかけてきてくれて、話しかけてくれました。それがとても嬉しかったのを覚えています。(後からインスタグラムのストーリーに私と出会ったことを上げてくれたのも嬉しかったです)


その週末、葬儀が開かれました。

父は長男でしたので、いろいろな手続きを担っていました。

祖母は持病もなく、そして本当によく食べる健康体そのものでした。亡くなったときは、庭で倒れているところをホームヘルパーさんが発見して通報してくれたのでした。

突然死だったため、祖母の遺体は一度警察に預けられていました。

私たち家族も警察へ行き、目をつむったまま表情がなくなった祖母を確認しました。

父の妹は泣いていました。

そのとき私は泣くこともできませんでした。遺体を前にしてもなお実感がないからなのか、それとも祖母の死を受け入れるキャパシティがなかったからなのか、はたまた脳内で死の予行練習をしていたからなのか、分かりません。ただ、悲しいような気はしていたと思います。なんというか、この時は死という事実を頭でただ呑み込むことしかできず、その事実をこころで消化する準備ができていないような感じだったと思います。

父方の祖父が亡くなったときと同じ場所で葬儀が行われました。

ただ今回は祖父の時とは違い、規模の小さい家族葬でした。

私は従妹と受付を任されました。私も少し大人になったんだなと考えていました。私の知らない親戚やご近所さんばかりでした。

葬儀では祖母の写真を集めた映像が、音楽とともに上映されました。音楽は祖母が好きなものだったらしいです。全く知らない歌でした。祖母の若い頃の写真もあり、それは私の全く知らないひとりの人生で、祖母にも若い時代があり、こうして人生って終わっていくんだ。と感じていました。

葬儀屋さんが作ってくれた映像の最後には祖母の声を代弁するようなナレーションが入っていました。とても感動的で泣きそうになりました。

「大好きなお父さんのもとへ、今行くからね。」

祖父はもう10年以上前に亡くなっていますが、2人は愛し合っていました。

それまで死を怖いものとしてしか見ていませんでしたが、冷たい祖母の周りに暖かい花が手向けられているのを見て、そして死の数か月前頃から祖母が私たち家族によく言っていた「もうおじいちゃんのところに行きたいわ」という切実な言葉を思い出し、こんなに愛されて旅立つのなら、死も悪いものではないのかな、とふと感じました。

再び日常に戻る私ですが、以前の日常とは違う「日常」を過ごすことになります。

続く





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