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普通の大学生がうつ病になった話④あれ、ライブがいつもと違うぞ(大学3年、4月)


葬儀から二日後。大学がちょうど始まる頃です。

私と母で大好きなアーティストのライブに行きました。

一週間前、祖母の死を知らされた私は母に「ライブは行けないかな・・・」とダメもとの確認をしました。葬儀の日程や心持ちの問題で来週のライブは厳しいのではないかと考えていました。

しかし、母は「大丈夫だよ。行けると思う。」と言いました。これはこれ、それはそれ。という感じだったのでしょう。

ということで、葬儀の二日後、春一番の風が吹きつける中、私たちはライブ会場に足を運びました。

二週間前、別のアーティストのライブで友人と訪れた場所。同じ会場。

しかし、少し違和感が。なんだかライブ前特有の高揚感というものが感じられない。常に瞼が半開きのような状態です。疲れていようが何だろうが、以前ならライブ会場に着いた瞬間に、そんな疲れも吹っ飛んで見て見ぬふりができました。

ですが今日は何か違います。ここ最近予定を組み込みすぎていたからでしょうか?春休みのライブ三昧ライフで、ライブ慣れしてしまったからでしょうか?

会場の中に入り、オープニングが始まる。いつもの高揚感がないなと感じつつも、音楽が始まったら楽しめるだろうと考えていました。

だけど、いつもなら感じる「夢世界感」がない。

大好きな映画に没頭しているときのように、リゾート地に旅行しているときのように、どこか現実離れした空間で、この瞬間がずっと続けばいいのにと、いつもなら思うはずです。でも今日は、時間やライブ空間が、現実の延長線上にある。いまいち入りきれない感じです。

そのまま約3時間が過ぎてしまいました。

いつもと違い、夢から現実に引き戻される感じもない。ずっと現実だった。

(ただひとつ、私の「推し」と目が合った(10秒くらい目が合っていたんじゃないかと錯覚しています)瞬間だけは、強烈すぎて鮮明に覚えています。その記憶だけは一生の宝物です。)

楽しかったことは楽しかったけど、いつもの楽しさと何かが違う。なんでだろうとまたひとつ疑問が残りました。


それからの日々は、大学に通いながらアルバイト3つ掛け持ちという精神的に疲れる日々でした。

春休みにバイト戦士で疲れ切ってしまった反省から、それぞれのシフトを週1ほどにして、週3くらいで働きました。

ですが、自分の異変にも気づいていましたので、この生活からもっと何かを変えなければならないと思いました。このとき、耳の聞こえは以前より良くなっていましたが、世界に雲がかかっているような感覚はいまだにありました。

まず生活習慣を見直そうと、0時までのシフト固定の漫画喫茶のアルバイトを4月いっぱいで辞めることにしました。これで早寝ができる。運動はジムで週2.3回くらいしていました。(土足厳禁なので毎回靴を持っていくのがとても面倒でした。)

漫画喫茶を辞めた理由はこれだけではありませんでした。楽をしたくて入ったアルバイトです。責任のある仕事は極力避けてきました。その結果、職場内で私は「できない(やる気のない)子」という評価になりました。「できる子」になってしまうと、責任のある仕事もさせられるし、荷が重いし、頑張ってしまって楽ができないから、自分からその評価を望んできました。

でも、あまりにも「できない子」認定されてしまうと、それはそれで私には窮屈に感じられるようにもなりました。もともと負けず嫌いで、なんでも頑張ってしまう完璧主義者のタイプでしたので。90の正解を喜ぶよりも10の不正解を悔しむような人です。

漫画も読みたい(これはアルバイトの特権)けど、このまま何も頑張らないままだったら、私が腐ってしまう。そう考えた私は、すぐに店長に「今月末で辞めさせてください」と伝えました。

このときは、自分の体や心のことを考えて、とにかく一刻も早く環境を変えたいと思っていました。


4月下旬、ついこの前行ったライブのアーティストの、ファンミーティングがありました。これも母と行きました。

平日でしたので、私は大学の授業がありました。ライブの日と同様にお洒落をしていきました。ゼミの授業で放映された映像を最後まで見ることなく、きっかり1限分の時間着席してから、教室を退室し会場へ急ぎました。

ファンミーティングの時間は、本当に、ずっと現実の延長線でした。

「楽しい!!!!」みたいないつもの感情はどこやら、「始まった。」「終った。」という事実を認識するだけの作業でした。

2週間前のライブのときよりも顕著でした。

それでもやはり、私自身が自分を楽しませたい気持ちもありました。「楽しい」と暗示をかけて「楽しかったね」とか口に出して言っていたと思います。

このときは「オタ活のしすぎで慣れてしまったのかな。しばらく現場は控えようかな。」なんて考えていました。


4月は科目登録に悩まされつつ、大学の授業、週3のアルバイト、ジムや計3回の現場オタ活のほかにも、「何かしたい」という思いから中国留学の奨学金説明会に行ったり、幼馴染とランチに行ったり、家族で夕飯を食べに行ったりしていました。今振り返ると、こころの健康状態がよろしくない状態にしては予定を組み込みすぎだと思います。

そんなこんなで4月は過ぎていきました。

5月は、私の記憶史上最も辛い月でした。

続く


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