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通貨というもの(前編)

通貨というもの 前編
私たちがよく見かける500円玉は、Cu,Zn,Niから作られたニッケル黄銅という合金の、7.0gの塊だ。
一時期仮想通貨が話題になって、今ではもう取り上げられなくなったが、なぜ仮想通貨があれほど注目されたかを知るためには、この7gの塊から考える必要があると思う。


「貨幣」というものが生まれる前、人々の取引手段は物々交換であった。
しかし、これは大きな苦労を伴う。
この取引には、両者の利害の一致が不可欠だったからだ。
弓矢が欲しくて魚が余っている漁師と、魚が欲しい医者の間では、取引が成立し得なかった。
それを可能にしたのが貨幣である。
弓矢が欲しい漁師は、医者に魚を売ってそのお金で弓矢を買えるようになった。
貨幣はさらに、全てのものを同じ尺度で測ることを可能にした。
これによって物の交換比率が取引相手の主観に依存しなくなった。


この取引の信用性を保ったのは、貨幣の発行者、つまりその土地の支配者である。
よって、その土地の主の支配力が強くなるまで、この仕組みは実現できなかった。
日本でいえば、徳川家によって天下が統一されるまで、信用性の高い取引は困難だったのである。
この貨幣の登場によって、人々の生活は「物々交換の相手を信じる取引」から「その土地の支配者を信じる取引」によって成り立つようになった。
これは現代でも同様だ。
貨幣の信頼性が権力によって担保されているために、ある国の政治状況が悪化すれば、その国の通貨の価値は下がる。


例えば中国はそれを防ぐために人民元の外貨換金を制限している。
だが、それは中国の経営者にとって望ましくないものだ。
しかし、今までは、貨幣の真正さは国家にしか保証し得ないものだった。
参考「Homo sapiens(サピエンス全史)」Yuval Noah Harari