
祝祭の日の記録
こんにちは、yoshikaです。今回は神様が定めた祝祭の日について、書き記そうと思います。祝祭の日というのは、神様と出会ったことをお祝いする日です。
https://rapt-neo.com/?p=40979
RAPT有料記事121(2016年11月19日)勤勉と安息と主の祝祭。そして千年王国における真の幸福感。
https://rapt-neo.com/?p=45642
RAPT有料記事221(2017年11月4日)主に出会って救われたことを愛と感謝でお祝いしなさい。〈11月11日の主の祝祭についての御言葉〉
https://rapt-neo.com/?p=45748
RAPT有料記事224(2017年11月13日)11月11日は主と私たちが互いの愛を確認し合い、互いの愛を深め合う日だ。〈主の祝祭の日についての御言葉〉
https://rapt-neo.com/?p=49159
RAPT有料記事326(2018年11月10日)主が示される真の成功哲学。または、11月11日の主の祝祭についての御言葉。
https://rapt-neo.com/?p=54116
RAPT有料記事521(2020年12月14日)主から与えられた恵みと祝福を証して多くの人々を救っていく者に、主はもっと豊かな恵みを与えて、さらに多くの人々を救うことができるように導いてくださる。
インスタグラムにもあげているのですが、もう一度振り返ってみようと思います。
今回の祝祭の日はどこまでも神様の愛が伝わってくる日でした。
この日の前日、祝祭の日をどう過ごすのか、御言葉でおっしゃってくださっていました。

最近の御言葉を聞きながら自分は山羊かもしれないと思って、罪の悔い改めをしていました。
神様の間を妨げるもの、今の仕事(接客、小売業)。やはり、世の中の人と接しているとどんどんずれていきますし、恵みがなくなってしまいます。しかし田舎にしてはなかなか賃金が良くて、捨てれませんでした。だから、捨てれるように祈りました。
自分の罪、今年は特に気が緩んで怠惰になっていたと思いました。正社員から抜け出したのは良かったものの、真剣さ、向上心がいつの間にかなくなって、明け方寝坊したり、世の中の楽しみに流されてしまうこともあって、もっと立てれたよな、と思うことがたくさんありました。
仕事をしだしたらそれに溺れてしまい、もっと良い仕事を求めず、次元がなかなかあげられませんでした。
悪人の滅びと人類の救いを祈ってはいましたが、自分のことはあまり祈っていませんでした。これがほしい、あれがしたい、自分の使命、個性才能、信仰のない家族のこと、もっと相談したいと思いながら、それらは後回しになっていました。
家族もrapt理論や御言葉、伝えてはいるのですが反応は鈍く、毎日テレビ三昧です。完全なB層であり、あまり社会のことを深く考えていないように思います。
世の中を見れば、中国共産党のスパイ達が跋扈して、あまりの悪どさに怒りを覚えていましたし、世の中の人も、政治に不平不満ばかり言っていて、その影響を受けてネガティブになってしまっていました。
なかなかツイッターやインスタに投稿ができないことも引け目を感じていました。自分は駄目だ、と思ってしまってできなくなる始末でした。
だから、祝祭の日はもっと神様と打ち明けて話したい、と願っていました。その願いを主は叶えて下さり、苦しみを打ち明けると同時に愛で満たして下さり、本当に嬉しかったです。
祝祭の日、神様から意識が離れたかな?と思っても賛美歌を歌えば愛している。どこまでも愛しているのだ、と伝わってきて、涙が溢れていました。
サタンの影響がないとこんなに違うんだ、主の愛が伝わってくるんだ、と驚きました。ネガティブにならないようにと、なるべくそういったネットの情報は見ずに過ごしたのもよかったです。
恵みで満たしてもらったから、よし(๑•̀ㅂ•́)و✧、邪魔するものを捨てようとすんなり決心できました。
11月13日の御言葉、神様のことが好きで御言葉に従った、、あまりの次元の高さに驚きました。それに比べて私は、まだ自分が苦しいから従う、言われたから従う、無理やり従う、奴隷です。
10月末の御言葉で、神様は私達を厳しい掟に従わせるためだけに呼んだわけではないのに、まだ私は形式です。その観念を変えるような信仰生活がしたいと思いました。
そして、仕事も家も家族も捨てて、新しく生活を作り直したい、ひとり暮らしがしたいと願っています。神様に祈り求めて見つけ出し、作り上げたいです。
以下、インスタにあげた文章です。
〜インスタ文章始め〜
今日は11月11日。神様が定めてくださった祝祭の日です。
その日の感想を一言で言うなら、神様の愛に包まれた日でした。
実はこの日の少し前に裁かれたかな、と思うことがあって、果たして自分は祝福を受けて過ごせるだろうかなんて思ってしまったのですが、そんなことはなく、主の愛がどこまでも伝わってくる日になりました。
この愛をもっとわかって欲しい、どこまでも愛しているのだ、と神様の愛を確認して感謝する日になりました。また、この愛を妨げるもの、今の仕事、自分の罪、弱さや欠点、または周りの環境を変えよう、なくそうと決心する日になりました。
今回はわたしは遠出をして、大きな橋を見に行きました。(祝祭の日、どこへ行こうかと祈っていた時に感動があったところです。)四国と本州を繋ぐ大きな橋(、raptさんのいる愛媛と広島にまたがる大きな橋、しまなみ海道)です。
道中賛美しながら、祈りながら、神様に感謝しながら行きました。
ナビに案内は任せ、道を間違わないように、慣れない道を行きました。
思いつきで、行きと帰りで道を変えたのですが、行きは山の紅葉を見せてくださり、また帰りは海に夕日が沈む様子を見せてくださいました。道中の自然すら使って、主は楽しませてくださいました。
橋が見えてきて、車で駆け抜けて行きました。

その時に伝わってきたのが、
この橋みたいに、人類と神様を繋ぐ者になって欲しい。この橋は人間と神様が力を合わせて作った橋だ。
いや、神様、この橋でっかいよ、なんて心のなかでツッコミながら通りました。
写真は展望台からのものです。

ここからが不思議なのですが、今日は私が心のなかで願ったことが次々と叶えられていったのです。
まず、遠出して行きたいと思っていたところにはほぼ行くことができました。時間には限りがあり、事故や渋滞などの突発的な問題がないとも限りません。それでもまわろうと思っていたところは無事に行くことができました。また、あれば買ってみようか、と思っていた塩を買うことができました。塩は大事。私はいろんな塩を使ってみて、どれが一番いいかなと食べ比べをしているのです。今回の塩はどうかな。お土産を買おう、と思ったら道の駅があったり、休憩したいと思ったらコンビニがあったり、不足することがありませんでした。今回はきっちりと計画を組んでいたわけではなかったので、驚きです。

世界に宣教していくにあたって、歴史もちょっと学んでみようか、と思って博物館にも行ってきました。(写真は禁止でした。)見ていて思ったのは、歴史の表にも語られないような人達がいっぱいいて、こうして見えないところで活躍していた人達がたくさんいるんだろうなということ。私はひとりで信仰生活をしています。だから時に寂しくなったり、この祈りは届いているのだろうか、と思うことがあります。活躍している兄弟姉妹を見れば、自分なんて駄目だと僻んでしまうこともあります。しかし大した働きができていない自分にも、主はどこまでも大きな目標を示してくださいました。もっと条件を立てれるように、神様をもっと愛することができるように、励みます。
さて、帰り道なんですがなれない長時間運転でかなり体が疲れてきました。それでもなんとか踏ん張って、夕食を食べようと思っていた町に着きました。いくつか候補があったのですが、一番近いところへ行きました。
食べたことのなかった、グリーンカレーなるものを食べました。野菜入っててヘルシーなんですね。シチューとはまた違う。美味しかったです。

それから家に帰宅しました。今までの祝祭の日の中で一番、恵み深い日でした。
さて、明日から仕事が忙しくなります。この感動を忘れないためにも、こうして記しました。神様、本当にありがとう。神様だけでなく、御子様、聖霊様、天使天軍達、イエス様、先生、raptさん、兄弟姉妹達がいなければ、私はここまで来ることができませんでした。本当にありがとうございます。
今日はたくさん賛美歌を歌いましたが、私は、君は愛されるために生まれた、が一番心に響きました。歌詞をおいておきます。
君は愛されるために生まれた人
その愛で今、生きている
君は愛されるために生まれた人
その愛で今、生きている
世のはじめからの神様の愛
ひとつの出会いで、実を結び
君がこの世に生まれることが
私達には大きな喜び
あなたは私にとってこのフィレモンみたいな存在をなのだ、と言っているようでした。
どこまでも大きな神様の愛に答えることができるように、頑張ります。
〜終わり〜
ほんとに特別な日でした。自分の悩み、不安、苦しみ、すべて取り去ってくださいました。どれほどひとりひとりを神様が愛していらっしゃるのか、ひしひしと伝わってきました。
それと同時にもっと求めていればよかったなと、日本に裁きがくだされることになってしまった今年を振り返って思いました。
世の中を見れば、ほんとに日本は絶望です。裁きが進んで、世の中の人達から楽しいとか嬉しいとか、そういった希望的な話は聞こえなくなりました。rapt理論プラスアルファの記事を見るとますますそれを感じます。神様にしか希望がありません。多くの人が神様のもとに立ち返るように願っています。また、私自身もこれからどうしていくべきなのか、神様に祈り求めていく必要があります。
祝祭の日を通して思ったのは、神様に従うなら、主はその人を守り、助け、導いてくださる、ということです。もっと神様に導いてもらえるように励みます。
【11月11日 – 祝祭の日の証】神様が自分の体を使って下さることで自分自身も癒され、力と恵みに満ち溢れた感動的な体験(十二弟子・NANAさんの証)https://t.co/nt6aEfROGY
— RAPT理論+α (@Rapt_plusalpha) November 14, 2022
【11月11日 – 祝祭の日の証】神様が行く先々で祝福を用意してくださり、心の中にあった願いも次々と叶えてくださった奇跡の体験(十二弟子・KAWATAさんの証)https://t.co/Wehj2HdQia
— RAPT理論+α (@Rapt_plusalpha) November 13, 2022
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