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"救世主"の条件

"救世主"とは何か 

 さて、救世主と聞くと皆さんはどのようなイメージを、もたれるであろうか。

 やはり、かの宗教の信仰の対象の存在、そのイメージは強力であり、そちらに引っ張られるのは致し方ない。

 ちなみに我々、日本人にはあまり救世主待望論というのはないようだ。強いて言えば仏教の弥勒菩薩であろうか。

しかし、世界の常識はそうではないようだ。
"救世主"にまつわる話は巷にたくさんある。

 そして実は我々日本人もけして無関係とは言えないのだ。

 "救世主"の話を大きく分けると、予言に関連して語られる場合と、かの宗教の歴史的観点から語られる場合の二つだろう。

それは歴史の中の救世主と、現代の救世主。

歴史の中の"救世主"

 そもそも救世主メシアというのは、聖書に起源がある。かの民族が苦難の時に"救世主"が現る、という神との約束にちなんでいる。

しかし、当時も今も"救世主"は明確には定義されていない。

 このような存在であってほしい、このような存在であるはずだ、という希望的観点から"救世主"は語られてきたに過ぎないのだ。

 つまり歴史の中では、"救世主"とはいかなる存在なのかは明らかにはされていない、と言っても良い。

 にもかかわらず、

「"救世主"とは民族が苦難の時に現れて救ってくれる存在のはず」という期待から「戦いに負けそうな時に敵を退けて勝利をもたらす強い守護神」

との解釈をするようになった。

しかし、

 かの民族においては、その苦難の時、ローマの圧政下で虐げられていた時に現れたのは、そのような「強い守護神」のような存在ではなかった。

 その時現れたのは「汝の敵を愛せよ。迫害する者のために祈りなさい。」と人々に謙虚さと愛の《道》を説いた存在であった。

 それゆえに、その《救世主》は、かの民族に受け入れられることはなかった。

救世主とはいかなる存在か。

"奇跡を起こす"
"人々の苦難を消し去る"
"平和をもたらす"

一般的なところでは、このような感じであろうか。

"奇跡"を起こすと言えばマジシャンがいるが、彼らを救世主とは言わない。

"人々の苦難を消し去る"と言えば、様々な人道支援活動やボランティアがあるが、彼らを救世主とは言わない。

"平和をもたらす"と言えば、やはり宗教の役割と期待されてきたが、残念ながら宗教にはその力はない。

 では、いったい救世主とはどのような存在なのだろうか?

"救世主"の定義

「"救世主"とは、それまでの生き方の間違いを根底から修正する存在である。

 苦難とは、その間違いがもたらす結果に過ぎない。根本的な間違いを正さず、表面的現象のみ、どうこうするのは救世主ではない。

現代においては独善と排他という間違いを正し《普遍性》を回復する働きをする存在がそうだ、と言える。

 人々を《神の道》に戻す者、《宇宙の真実》の生き方に立ち返る《道》に導く者、それが"救世主"である。」

《空不動》はこのように断じる。
これが我々の"救世主"の定義である。

"救世主"と歴史の修正

 そもそも苦難は「間違い」から生まれるのだ。同じ過ちを繰り返すから、苦難が解決しないのだ。

 そうであるならば、苦難を退ける存在が、それまでの過てり生き方とそれの元となる考え方を正さないはずがあろうか。

 そのような状況で甘言をいう"救世主"というモノがいるだろうか。

 潰れかけた会社の再生に乗り込んできた有能な新経営者が、旧経営陣と社員に向かって「あなたたちは何も間違ってはいなかった。」というだろうか。

"NO"だ。

"間違っている"時には、厳しい修正者こそ"救世主"なのだ。

 それを自分たちに都合が悪いからと言って否定することは自らの根源である《宇宙》からのフィードバックを否定することであり、しいては自分自身を否定することになる。

 《修正者》を受け入れるか否か、そこが運命の別れ道となる。

 かつて自分達の運命を、そのように自ら否定しておきながら、都合の良い"救世主"が現れる事を夢見る者達が、ある民族の中にいたが、それは無理な話、ということがおわかりいただけるだろう。

 《宇宙》から求められていることは、生き方と考え方の修正なのだ。《正常》に戻ることだけが求められていることであり、本来、罰を与えるなどの目的などは存在しない。

 人も民族も《平安》を求める。それは自然なことと言える。

 しかし問題はそれを実現する考え方と方法なのだ。

 自らの間違いを棚に上げて返り見ず、謀略を駆使して強引に秩序の頂点に君臨することでそれを成し遂げようとする傲慢な考え方も、怠惰な依存状態に甘んじ、主体性を失ったまま隷属する状態もどちらも「正常」な"平安"状態とは言えない。

 そのような生き方、統治のあり方は"救世主"から何と言われるであろうか。

 《宇宙》の《普遍性》から見て、何と言われるであろうか。

 その考え方に正当性を与える存在がいるとしたならば、それは真実を支持するモノであろうか。

 静かに考えてほしい。

間違った〈世界観〉と世界の混乱

 いま、世界を見渡すと「苦難」に満ち溢れている。

 この状況を"救世主"から見ると「苦難とは生き方の間違いの結果ということになぜ気づかないのだ。」と言われるに違いない。

 生き方の間違い、とは世界観の間違いに起因する。

 人間と宇宙、世界というモノをどのように認識するか。

 この科学が発達した現代においても、まだ人類は正しくそれらを理解し、《世界観》として共有できてはいない。
 しかし、もう少しというところなのではないかと思う。

 そこで《宇宙》は人類への援助として、
この深遠なる知識を与えることになった。
↓↓↓

「宇宙と意識」空不動 

 歴史の中で、自分達の希望的観点から、正しく物事を把握できず「致命的過ち」を犯してしまった民族が存在したが、そのような過ちは繰り返してはならない。

 いま起きている、世界の混乱の背景には、このことが強く影響していることを人類は知らねばならない。

現代の"救世主"

 予言では「終末の時、"救世主"は現れる。」と言われている。

 これは「人類が、その無知と傲慢により自らの世界を崩壊に導く時、その過ちを正し、救われの《道》を示す存在が現れる。」という意味になる。

 かの宗教においては《再臨のイエス》ということを信じる人々がいる。
 そしてある民族は、いまだ"救世主"の登場を待ち続けている。
 さらには弥勒菩薩が人々を救う、と言われてもいる。

 そして、現代から未来に向けて日本人が"救世主"になるとも言われている。

 これらがすべて繋がる一点が存在するのだ。

 人類の苦難の時に"救世主"は現れる、とするならば、その存在が行うことは、人類全体の《世界観》を修正すること、間違った〈世界観〉に基づく行動をやめさせること、そして長年にわたる人類のおかした過ちへの謝罪を受け止めること、になるはずだ。

 始めに「我々日本人にも関係がある。」と言ったが、実は驚くべき真実がある。

ここから先は、ご自分で確かめていただきたい。

「現代の黙示録」イエスは聖書を認めない

「現代の黙示録」ガブリエルの怒り


動画
ガブリエルとの交流/現代の黙示録Ⅱ

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