触れる

ワークショップランドの活動が
フェードアウトしてから
しばらくぶりになつかしいオリセンで
3日間、コンタクトインプロの
ワークショップに参加した。

東京コンタクトインプロフェス2016

今年は舞台の気分なのだ。


動きたい気持ちと
動かないからだの合間にある
もどかしさと可笑しさを
感じながら。

コンタクトインプロビゼーションは
コンタクト=触れている
感覚を頼りにダンスする。

押したりひいたり
力をいれたり抜いたり
ついていったり合わせたり
流れの中で動いてく

身体の感覚、触覚から
出入りする情報の繊細さを
改めて思い出す

心地よくまさにダンスできるとき

緊張しうまく流れにのれないとき

まさに
いま いま いま
ここ ここ ここ
にいないと

一瞬でおいていかれる

もともと
身体の力を抜くことが
難しい身体で
ダンスの途中で
背中に痛みが走ってから
身体が無意識にビビッてて
さらにそれを宣言したことで
周りにもきっと気を使わして
(もしくは使われてる気がして)
開け放つことや
引き受けることが
難しくなる感覚に
落ちてしまった

踊りたいのに
踊れない

つながりたいのに
つながれない

すこし踊ってみても
やっぱり踊れず
かなしくなって離れてしまう

だけどある人とは
そんなことを抜きにして
踊れることに気がついた

すごく不思議と力が抜けた

というより思考を飛ばして
溶ける感覚とでもいうのか。

なんだろう

これはなんだ

こちらがわの思い込みか
おたがいに流れるエナジーか

答えはわからない
けれど
なにかが違って
そこになにかがあったか
もしくはなにかがなかったのだ

視覚や聴覚からの記憶情報では
まったく察知できえない肌感覚

言葉にできうることじゃないけど
あの感覚は覚えていられる。

日常のかかわりの中でも
ここで体験したことと
同じようなことが流れてて
離れたりくっついたり
びびったりほどけたり
してるんだろうな。



虐待や暴力や性被害を
引き受けてきて
恐怖を記憶してる身体が

そんな風な
触れることの喜びを取り戻し
それをただ味わうことができたとき
そこに固まっていた氷が解けて
なにかが流れ始めるだろう

固まりで固まりを叩く
暴力の連鎖ではなく
足りないものをむさぼるような
欲望にまかせた接触や行為じゃなく
互いの触れた部分で対話しうる
エネルギーの流れが。

一方的に触ることじゃなく
一方的に触られることでもなく
互いに
自分自身の感覚を研ぎ澄ませながら
相手との接点を探しみつけ
そこに意識をもって 触れ合う


そんなことの大切さを改めて
とっても感じたと同時に

痛みを宣言してしまうことから
うまれる善意のGAPの弊害にも
意識を向けておきたい

被害者です
加害者です
依存症です
精神病です
性自認はXです
宇宙人です

とかを告白した瞬間に
サッと生まれる
自分側の壁の厚みと共に
相手側に生まれる壁の厚み

そして一旦建てた
壁の壊すことの難しさも。


特に互いの感覚を研ぎ澄ました
交流が必要なときにおいては。

でもそれを超えて
つながれる可能性が
あることもはっきりと
体験できたから
そこも信頼しつづけよう。

相手がどう感じてたのかは
確認してないから
わからないけど。


触れること ほんま大事やな。

またそんな場をやってみようかな。
自由に動ける身体でいたいし。

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