きみのいう未来

すべての誘いに乗っかるってのは

一番 怖いとこややばいとこにいってみるってこと。

その怖さからのがれるための 雑多な音に耳を傾けることじゃない。

そいでそいでそぎ落とした上で

まだ残る それに乗っかりたいんだ。

すべては 天の神様のいうとおり。

だれかのことを気にするがゆえに

誰かの胸に飛びこめない不自由は

がんじがらめのなかにつながれた安堵。

浮いたり沈んだりする浮き草のようにふわふわと

とぎれることない不安にさいなまれながら

どうにもならない排泄物だけを垂れ流し続ける快楽におぼれ続けるのだ。

君の言う未来は 僕のそれと交じり合うこともなく

君の見る未来は 僕のそれと混じり続けてるわけで

それを分ける術はどこを探しても見つからず、

きっと途方にくれて日も暮れて涙もかれてただ、

「愛ってなんだ!?」みたいな迷いの中に没入するための

問いを投げかけ続けることに無意識が忙しくするのだ。

いつかの地の球のゆれが 地面を二つに割ったように

僕らの心もシェイクシェイク われるなんてことがあるやもしれないけど

そんなことははじめからないことなんてわかってるわけで

だからその届かない思いを 届け続けるわけで

いやそれは僕からしたらどうにもこうにも

すでにすでにすでに 届いてるわけで

だけどそれを認めたがらない誰かがいるわけで

どうしたものかこの 意識と言葉の垣根の上にある

魂と呼ばれる 珍獣に逆にめずらしがられたりもするのだ。

君にみせられない僕の背中にかくした熱情は

僕にみせられない君の背中に隠したとまどいの奥にある痛みにつながり

とがり続けて血をながしつづけてるのに

痛みなんてどこにもないと笑顔をつくったりもする。

気持ちいいの気持ちいいのなにかがとっても気持ちいいの。

君の指に触れるとき僕の木霊が僕をくすぐる。

だからもっとだからもっとだからもっとよと。

かけがえのなさとはかなさの間に横たわる捕らえようのない心情が

夕日に写る悲しさや便りがこない切なさに映し出されて君をおもう。

言葉の中にない真実と言葉がわきでる慟哭の調べの中にみる「本当」は

きっと世界の終わりとはじまりのみつからなさと同じぐらい

深く消えてみえないものにされているのだろう。

ほら、意味なんて意義なんて意図なんて誰かがいった美辞麗句。

マニュアルどおりのくどき文句にへきへきしてる美人が

誰の言葉も信じられなくなるように

目の前に起こる奇跡を当然のことのようにとらえてしまう不幸のなかで

輝くなにかをぽろぽろと手の指のあいだからすべり落としてしまうのだ。

つかめないからこそ手をひらきつかんでるものを放したすきに

すきでもないあいつが忍び寄りすきでもないものを食べさせようとする。

手のひらに太陽を。

心の襞にお月様を。

寂しい夜には抱擁を。

うれしい朝には口づけを。

などと丑三つ時に目覚めたおれはなんだかわからない垂れ流しの言葉をそのまんまだしてみる。

いまなぜか 8:08だが、きのふは昭和88年8月8日なんだそうな。

この世の不思議と出会いの妙にゆきづまりながら

満ちかけてそれでも願わくばこの世を

真っ向から飲み込んでみたいなどと

のぼせあがってみたりするのだ。


20130806

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