いきができるときをゆめに

いきてく なみだのとばりのなかで

こころから わらうことよりも 

こころから なけることなんかを

こころの  どこかで しんしんと

もとめてる うちが いる

とほうもない みらいの ゆめを えがくことよりも

きょうの やつの おなかのいたみが そっときえることのほうが

うちにとっては たいせつやもん

ずいぶんまえに した やくそくを まもるために

めのまえの いまを しらんぷりして とおりすぎたり しなくちゃならないんだとしたら

うちには もう やくそくなんか いらない

うちは もう やくそくなんか みたくない

いつも かぜに くもは ながれ

やつも いつか ここを わすれ

だけど きっと どしゃぶりの あめのひに 

そっと ふっと おもいだす

いつも くもは そらを ながれ

やつも いつか うちを わすれ

だけど きっと どしゃぶりの あめのひに

そっと ぎゅっと おもいだす

あふれてやまない なみだ の おくの

ゆらゆら ゆらめく ほのかな たましい の まぐわい

いつも いつまでも あった それに

ぎゅっんと される ひ が くるのだ

それを

そのひを おもうことだけで

うちの なかの どしゃぶりは ほんのちょっと やむかもしれない

それだけで 

うちは それだけで 

きっと やっと ほっと いきが できる かもしれない

いまは もっと ずっと ぬれて ぬれたまんまで ええけど

いつか ほっと ふっと いきが ぬけたら ええのに、、、な。


20140709

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