変えられないものと変えられるもの
人生、家族の中で
起こってくることは変わらない。
それは変えられないけど、
私がどういうフィールドを大事にするかは
(みる方向性やカラーになってくるもの)
選べる。変えられる。
去年の10月末にみた夢で
そんなメッセージを感じたことがありました
(ぴったりな言葉かビミョーなので
ニュアンスが伝わるといいのですが…)
私の家族への感情は、とても複雑で、どうにもやるせなくて、家族というか人間ってなんなんだろ、なんでこんな風なんだといつもかなしくなってしまっていた。
それもこれも私が「こんなもんだよ」とわりきれない人間だから。
人には一面しか言わない。
言えないけど、そうじゃない面があるからこそうまれてる気持ちもあって、他の人に家族のことを話すのは簡単じゃなかった。
もう他人の言うことなんか知らん。
もう他人は黙っといてくれ。
と思いながら、家族がテーマになった映画で感動して泣いたり、大変そうな家族のドラマをみてなぐさめられていた。
そんな頃にみた夢でした。
はなれて暮らしている母のところにいるトイプードルが(もう15歳とかでシニア犬なのですが)お腹の調子がわるくて、ごはんも食べないから痩せてきていて、でも薬をのませて長生きさせるような治療はうけないつもりだと、ただお腹の調子がよくないとしか知らなかったのに急にそんな話を聞かされた時でもありました。
さらに1ヶ月ほど後には、母も体調に不安な点が出てきて、車の運転や仕事を控えたほうがいいということになりました。
私にできることはヒーリングをおくるということだったので、ワンちゃんの不調がわかってからは(犬とのコミュニケーションをとれるように、そして必要なケアをしてあげられるようにと)母にもできるだけ毎日おくるようにしていました。母の体調のことがわかって、はじめは少し動揺しましたが、その次にあった感覚は「もう奮闘しなくていい」という安心や解放でした。(こんな時ヒーリングがあってよかったという安堵もあったとおもいます)
家族の関わりにたいして私に必要で癒しとなったものは、「変えられないものをうけいれる勇気」でした。いつも「変えられる可能性がある」とおもって試行錯誤して躍起になりがちで疲れ果ててしまうことが度々ありました。
でも母の体調のことがわかって、しなくていいことを決められました。責めたり、非難したりしない。思いやりをもって接する。それだけでいいとしたら楽になりました。
はなれて暮らしているからこそ出来ることです。近くにいて思いやりをもちつづけるのは難しいことだったとおもいます。家族にやさしくできない時があっても自分を責めないでいるというのは簡単じゃないけど、そんな時も自分の味方でいることがセルフコンパッション(今年のテーマ)です。
※大切な補足※
コミュニケーションをとりづらかったり関わることが難しい人、ケアが必要な人が身近にいると自分を責めやすくなるかもしれません。私は学術的な言葉を使ったり難しい説明をするのは楽しくないし苦手なので、そういう話はここではしませんが、「セルフコンパッション」という言葉を知ったのは「CPTSD」のことを調べた時です。
自分でもなかなか気づかない場合があるので、もし思いあたることがある方や気になるなという方には知っていてほしいことではあるので簡単にだけ書いておきます…
なにかわかりやすい大きな出来事があって起きるのではなく、日常的にある状況や環境によって日々の蓄積で起こってくるものを「CPTSD」といいます。
私は10年ほど前まで抗うつ剤などを服薬していましたが、CPTSDなどのことを知り自分自身に起こっていることを理解するようになったのはここ数年です。なので、病院にいって解決してもらおうとするのではなく、ゆっくり自分自身のために取り組んでみようという気持ちでまずは言葉を知ることだけでも向き合う一歩になるかもしれません。
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