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アイドルを推す、 という信仰

前回のnote「アイドルに興味が無かった女が初めて好きになったアイドルは卒業していた」の冒頭1文。

「正直アイドルって、それほど興味が無かった。」

本当は、ちょっと違う。アイドルを応援するキラキラした世界に、ちょっとした憧れはあった。

私もああやって、大好きなアイドルのために、ペンライトを振りたいって。

アイドル界隈そのものに興味が無かったんじゃない。
私が見たことのあるアイドルに、興味が持てなかった。

他下げのつもりは無いけど、もしコレを読んで不快に思われたらごめんなさい。
今回のnoteは、こういう発言が何回か出てくると思います。

でも、多分だけど、アイドルを好きな人たちならきっと経験があると思う。

アイドルはみんな可愛い。歌もダンスも上手。あの子だってあの子だって素敵なアイドル。

でも、「私のアイドル」はこの子だけ。


私がアイドルに対して「この子だ」って思うことは、これまで無かった。
別に、特に探してもいなかった。

アイドルを応援する人達に憧れはあったけど、そうならなくたって別に良い。

私にはアニメや漫画とかの趣味があったから、日々満たされていた。


でも私は、この辺りのことは前回のnoteで詳しく書いたけど、出会ってしまった。

私のアイドル、ももちに。


アイドルを推すって、どういうことだと思いますか。

ライブに通いつめることですか。グッズにお金をかけることですか。応援することですか。好きでいることですか。

答えはひとりひとり違うと思う。そしてそれは全部、その人にとっての正解だと思う。
推すってこういうことだって、押し付けることは誰にも出来ない。

そして今回のnoteで話したいのは、私にとっての「アイドルを推すってどういうこと?」への正解の話。


私がこれまで出会ったアイドルに興味が持てなかったのは、私が出会ったアイドルたちが、ただ可愛くて歌もダンスも上手くて良い子でとっても素敵なだけの子に見えていたから。

深く知っていけば何かわかったのかもしれない。でもテレビなんかで見る限りは、そう見えていた。


アイドルって、語源を遡ると、偶像のこと。偶像っていうのは、神様の形をした、信仰の対象のこと。

だから私は、ただ可愛くて歌もダンスも上手くて良い子でとっても素敵なだけの子を推すつもりは無かった。

アイドルを応援する世界に憧れはあったけど。

私のこの、アイドルを推すという「信仰」は、私にとって絶対に一生世界で一番のアイドルだって思える子に捧げたかった。


アイドルを推すってどういうこと?

私にとってそれは、信仰するということ。

尊び、心の拠り所にすること。

絶対的存在であると信じること。


アイドルはみんな可愛くて素敵だから、とっても素敵なだけの子を推すつもりは無かった。

私にとっては、とってもとってもとっても素敵で、唯一無二で、世界で一番輝いて見える子。

だから私はももちを好きになった。


大好きなアイドルのために、ペンライトを振る世界にちょっと憧れがあった。
私が好きになったアイドルには、もうペンライトを振ることはできない。

でもだからって、他のアイドルを、アイドルとして好きになることはきっともう無いと思う。


私にとって、アイドルを推すって、信仰だから。

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