2019.4.27

という文字を見て、言葉を聞いて、例えば皆さんは何を思い浮かべるだろうか。

僕にとっての壁は壁でしかない。立ちはだかるものでも、越えなければいけないものでもない。というかそんな大役を任されても壁の方だっていささか迷惑だろう。

僕にとっての壁はただ在るものでまた、そこに無い。それは僕の頭の中で限定された形でそこに現れる。その壁はこちらとあちらを隔てるものであり、壁の向こうのあちら側にはきちんと何かがある。向こうでは誰かがその壁を壊そうとしたり、こじ開けようとしたり、あるいはそんなものがあるとすればだが、慎重にその鍵穴を探そうとしている者すらいる。越えようとしている者だっている。壁に直接力が加えられなくても、彼らには彼らなりの生活があり、その向こうでは奇妙な音がしたり、身をすくめるようなけたたましい音がしたりすることもある。こちら側とは明らかに何かが違う。

僕はその壁に絵を描く。一本ずつ、慎重に線を引き、色をつける。描こうとすればするほど、描けば描くほどに、壁は少しずつ大きくなっていく。僕はこちら側に来ようとしている者を拒んでいるわけではない。ただ絵を描きたいという本能に従って描き続けている。すると今となっては、描き始めた頃より壁はずっと大きくなっているし、これからもそれは変わらない。

僕に限らず、何かを作る人(創る人)というのは少なからずその行為において一つの壁を作り上げているのではないだろうか。その中にはもしかすると、壁そのものに目的を持つ人もいるかもしれない。けれど僕にとっての創作(音楽を作ること、文章を書くこと)はそれそのものに目的はない。ただ、結果として壁を作り上げるという行為が伴ってしまっているように感じるという話。

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