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2020.4.5の言葉を再び

家にずっと居てストレス溜まって病気になるより、とりあえずお散歩しよう🚶🚶🚶
1日2回、私はお散歩&ランニングタイムで外に出るのだけど、そんなときいつも想う。
自然はいつだってどんなときだって、
そのまんまの姿でいつもそこに在る。
ゆっくり自分の持つ"時"を、
自分のペースで過ごしているよね。

コロナウィルスの影響で私がしていること。
それも自然のリズムのように何ら変わらん繰り返しで、
『家の中でやりたいことをして過ごす』

その中で気付いたのは、
先のことは考えず、ひたすら"今今今"だけを生きるコトの連続。
(←今までもそうなんだけど😂😂)

ただ今回は私だけでなく、
世界中、ほとんどみんながこの状況に在るってこと。
とんでもない"今を生きる"の実践。

すごいよね、世界中約36億人が自粛しているのだから、そのほとんどの人達が先はどうなるかわからない中生きていて、
でも生きるってそうゆうことなんだっていう原点へ向かうような日々。
とりあえず今この瞬間に、強制的にフォーカスさせられている人間達。
先のことを考えて不安になるとか恐れるとか、
何にも焦ることはないのだよね。
だってどんなに不安や恐怖や焦りがあっても、
私達が解決できるのは"今"この瞬間ただけなのだから。 
いくら未来に何を抱いても、
未来の自分しか解決できない。

今、コロナウィルスの影響がいろんなところに存在している、にただ向き合うだけが、
今を生きるということ。

だから、
今までの生活、ってあってないようなもの。
私達は"今"しか持てないのだから。
過去の後悔やあれこれも持ち越しできない。
コロナウィルスのせいで昨日までの生活がなくなった、なにかがなくなった、はありえない。
どっちみち同じなんて存在しない。
"今"以外は全て幻想。

いつだって想うのは、
何かが起きてあたふたしているのはいつも人間だけだなーということ。
震災や台風19号でボランティア活動をしたときに、人間だけはなにかを失っているように見えて、飼われているペット達は災害前後なんら変わらず、何も失っていない。
そしてそもそも、人間達も、
持っているようでいて、"自分が持っている"と想っているだけで、そもそも何も失っていないということ。

どんなときでも、
どこでも生きていける対応力、創造力、想像力、コミュニケーション力、体力。

経済活動が止まりかけている今、
いかにモノに重点を置いてきた生き方、
経済力ばかりに重きを置いてきた人間活動では全く"生きる力"に対応できないことを思い知る。
人間だけに通用していてもだめなんだ。
個ではなく、いかにどこでもどんなときでも誰とでも何とでも共生し、生きる対応力があるか。
自然はそもそも全部タダなのだから。

今この状況は、
"なにもない"に近い、フラットな状態に戻る良い機会。
本当に大切なモノ、必要なモノはなにか、体で学べるなんて、なかなかこんな機会ない。
体験に勝るモノはない。

やはり地球は学校だ。
いつだって学びしかない。
世紀の大革命を見るような気分で日々、今この瞬間に集中しています。
感謝が滲み出るのも、
こうゆう局面なんだよね。

地球が起こす美しきマジック。
夕方になるとおおいぬのふぐりが花を閉じること。
咲き乱れるひめおどりこそう。
ふきのとうは冬の植物だったこと。
図鑑を元にわざわざ足をとめると、
えっ!?そうなのが触れて、見て、感じて、考えて、腑に落ちる。
体動かさないと、脳も動かないよね。近所の草花達だけで観察終わっちゃうくらい種類豊富🌸

地球は学校。
そして、目の前にいる人は先生。
こんな時間が在ることに感謝が滲み出る。
そして、当たり前だけど、
今日が最後の1日。

周りがどんなにどよめきあたふたしていても、
事実はいつだって、
今日が自分にとって人生最後の1日だということ。
私は今日今自分が出来ることをしただろうか。
うん、笑った。
ミッション完了😂😂😁😁

地球の鼓動を感じながら、
地球に寄り添いながら、
今日も家として居させてくれる地球に感謝しながら、
これは当たり前でなく、奇跡なんだと深々と感じるよ。
ありがとうありがとうありがとう。

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