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9. さやさやと玉串舞し春の朝

    前号でヒバの湯玉のことを書いた。ヒバを大切に思っている人の話から、榊の話、除夜の鐘がならない村と廃仏毀釈へと思わぬ方向へ話は進んでいく。

9.  さやさやと玉串舞し春の朝

 村口実姉子の『青森ヒバのある暮らし 凛とした、清々しい香りに包まれて』という本がある。ヒバの切り株と林檎が表紙にあしらわれた優しい本である。俳優の石田ゆり子が
   「青森ヒバの香りを深く吸い込んだらなんだか、それだけでスゥーと幸せになる。」
 と、本の帯に書いている。村口実姉子は、青森県下北半島の風間浦(かざまうら)村で生まれ育った。生家は製材業で、小さな頃からヒバに囲まれていた。ファッションデザインの仕事をした後、青森ヒバをデザインした多くのプロダクツを作って、青森ヒバのある優しい暮らしを提案している。「樹齢350年の巨木テーブル」「台所でおなじみの日用品」「ヒバ名人が編む美しいカゴ」「青森ヒバ精油、アロマレシピ」「芳しい青森ヒバチップのすすめ」など、目次を見ているだけでも気が和む。

 ヒバの成長には時間がかかり、無計画な伐採はヒバの減少につながること、下北には大畑ヒバ施業実験林があって、営林局主導のもとでかなり早くからサステナビリティーに取り組まれていること、実験林では自然更新という生育方法が採られていることなど、ヒバ林のことについても触れられている。杉や檜に比べていささかマイナーなヒバに対する思い入れと愛着が、行間からひしひしと伝わってくる本である。写真も綺麗で、読んでいて気持ちが洗われてくる。本自体からも癒しをもらえるのである。

 この本に、青森ヒバの玉串の写真とむつ市の大畑八幡宮の禰宜の方の話が載っている。
 「本来、玉串には榊が使われますが、下北半島の神社では、青森ヒバの葉を用いるのです」
 私にとっては見慣れない青森ヒバの玉串は、針葉樹独特の葉を持つヒバの枝に白い紙垂(しで)がつけられたもので、確かに、おそらく漂うであろうヒバの香りは邪気を払ってその場を清めるのにも適しているように思える。榊は関東以西の植物であり東北や北海道では自生しないのである。北海道では榊の代わりに、オンコ(北海道や東北ではイチイの木をオンコと呼ぶ)などの常緑樹を使用することもあるという。今では、どこでも榊は手に入ると思うが、それでも国内産の榊は少なくなっている。工事の起工式・竣工式などに使うものや、家庭の神棚用にスーパーや花屋で売られているものの約90%には中国産が流通しているのである。

 国内産の榊を生産しようと頑張っている村がある。岐阜県加茂郡東白川村。人口約2,000人で檜とお茶を生業(なりわい)とする美しい山村である。東白川村HPによれば、「山に生きる会」が中心になって榊の生産に挑戦している。榊の生産だけでなく、薪を作ってホームセンターなどへ納品しているのだが、大好評で生産が追いつかないほど需要がある。山仕事の経験者や時間に余裕のある高齢者たちの雇用の確保にもつながっているし、働いている高齢者を見ることは、子供たちが地域と仕事との関係を理解することにもつながっていく。
   
 話を榊に戻そう。この村は、大晦日に除夜の鐘が鳴らない村としても知られているのだが、その理由は村に寺院が無いことなのである。廃仏毀釈の後、復興された寺院がなく、神社しか残っていない。結果的に神道の村となっている。神道の村ということから、日常使う自生の榊に目をつけた。「日本の神様には、国産の榊をお供えしたい」という声もあって国産の榊に取り組んでいる。ただ自生だけでは量が足りないので山で榊を栽培をして販売することを考えているのだ。村役場の隣にあるスーパーの花売り場で榊を売っていたので、店員に尋ねてみたが地元産ではないとの答えが返ってきた。生産量を増やしたいとの思いで活動を行っているようだが、販売するまでにはまだまだ時間がかかりそうである。歴史的経緯を踏まえて山が生み出す資源を活用するという活動がビジネスにつながれば、継続性のある良い循環ができることになる。楽しみである。神前の榊は「東白川の榊」というブランドができるといい。

 鵜飼秀徳の『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』に、東白川村の四つ割の南無阿弥陀仏碑のことが書かれている。1835年(天保6年)に常楽寺という寺院の山門の脇に作られた石塔が、1870年(明治3年)の廃仏毀釈で寺とともに破壊されることになった。寺は破壊されたが、忍びなく思った人々は石塔を縦に四つに割って踏石にして土中に隠した。1935年(昭和10年)には掘り起こされ、今では廃仏毀釈の傷を示す歴史的証拠として村役場の前に立っている。廃仏毀釈の嵐は日本全土に及んだ。もちろん村口実姉子の故郷、青森にも。それでも下北半島佐井村の長福寺には円空が青森ヒバで彫った十一面観音立像が残っている。『青森ヒバのある暮らし』に、その穏やかな写真がある。約360年前に彫られたのだが、ヒバの防虫効果で虫食いもないという。廃仏毀釈や戦後の混乱を何とか乗り越えたのである。心ある人々の努力があったに違いない。円空の仏像で現存するのは五千体余り。そのうち十七体が青森にある。

●村口実姉子『青森ヒバのある暮らし 凛とした、清々しい香りに包まれて』PARCO出版   2019年・・・「昭和30年ごろまで、青森産のリンゴを詰める箱の底には、鮮度を保つため、青森ヒバのパウダーが詰められていたそうです。」と書いてある。ヒバとリンゴは仲が良いのである。
●一般社団法人「山に生きる会」2017年設立・・・薪や榊だけでなく、神輿や松茸用の檜の葉なども販売し、山に愛着を持つことを目標にして東白川村で活動を行っている。東白川村のHP(https://www.vill.higashishirakawa.gifu.jp)には「山に生きる会」のスタッフの榊栽培の苦労話が掲載されている。
●鵜飼秀徳『仏教抹殺 なぜ明治維新は寺院を破壊したのか』文藝春秋 2020年

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