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12. 初春を不折の文字と祝う朝

 前号で、諏訪の名酒「真澄」に触れた。ラベルなどに印字された独特の文字は、中村不折という書家が書いたものである。この他にも、馴染みのある商品の文字もいくつか書いている。味のあるいい書体である。

12.初春を不折の文字と祝う朝

 中村不折は、1886年(慶応2年)東京生まれの画家であり書家である。能弁で物事をはっきりと主張する性格だったらしい。

 「君の如く画家にしてかつ論客なるは世に少なし。もし不折君の説を聞かんと欲せば一たび君を藤寺(ふじでら)横丁の画室に訪へ。質問未だ終わらざるに早く既に不折君の滔々(とうとう)として弁じ初むるを見ん、もし傍より妨げざる限りは君の答弁は一時間も二時間も続くべく、しかもその言うところ条理井然(せいぜん)として乱れず、実例ある者は実例(絵画の類)につきて一々に指示す。」

 と、正岡子規は『墨汁一滴』に書いている。このような性格を案じて、子規は「剛慢(ごうまん)なるは善し。弱者後輩を軽蔑する莫(なか)れ。」と不折に助言もしている。これから察するに、さぞかし付き合いにくい人間だったのかもしれない。なにせ名前が不折である。決して折れることはなかったのであろう。それでも子規に見込まれた不折は、子規の「小日本」という新聞の挿絵画家となった。明治の文豪たちの信頼も厚かったようで、島崎藤村の『若菜集』『一葉舟』や夏目漱石の『吾輩は猫である』の挿絵も手掛けている。そして子規と一緒に日清戦争の従軍記者として中国へ渡る。『僕の歩いた道 −自傳− 中村不折』には、

 「この支那旅行ほど印象の深かったものはなく、これほど得る処の多かった経験もないと云ってよい。遼東半島には、未だ大分古いものが遺ってゐるし、支那建築の古風な面白さなどは、殊に酷く僕の頭を刺激した。」

 と書いている。このときに中国の書にも興味を持ったようである。西洋画を勉強しに渡仏したときにも、六朝の書の本を持参して夜はこれを手本にして習字の勉強をしており、書家としても大成したのである。東京は山手線鶯谷駅の近く、子規庵の向かいに書道博物館がある。中村不折が自宅の敷地を利用して1936年(昭和11年)に創設したもので、現在は台東区立の博物館となっている。不折がコレクションした中国や日本の書に関する資料が展示されていて、「真澄は販売しておりません」というコメント付きで、諏訪の名酒「真澄」のボトルを見ることができる。もちろん飲むことはできない。「真澄」以外の商品の文字もいくつか書いていて、「日本盛」や「新宿中村屋」の文字は我々にも馴染みがある。この他にも書道博物館の中村不折記念室には、浅草にある九代目市川團十郎の銅像の銘文や、新宿中村屋の創業者相馬愛蔵が満州奉天にいる知人の果物屋のために不折に「御筆跡」を依頼した手紙や、与謝野鉄幹が鴎外全集の題字を書いてくれるよう依頼する手紙なども展示されている。六朝体という独特の味を持つ文字で、書の依頼もたくさんあって人気が高かったようである。不折は『僕の歩いた道 −自傳− 中村不折』の最後に

  「絵と違って、書の方は沢山のお手本が必要なので、食を節する位にして集めた本が、今では可成りの量に達している。その保存については実に心を労した。(中略)この冬は思ひ切って、蔵書倉を鉄筋コンクリート式にした。これで僕も漸やく安眠が出来さうだ。」

 と書いているが、この建物は今も書道博物館の敷地内にある。

 京都は二条城近くに二条若狭屋という和菓子屋があり、ここで「不老泉」という和菓子が販売されている。単品でも買えるが箱詰めのものには、松をあしらった鮮やかな絵とともに「不老泉」という文字のある包紙がかけられる。この文字も不折の作である。京都らしいお菓子である。お菓子といっても葛粉なのであるが、包紙には善哉・薄茶・片栗の三つの文字がある。この善哉・薄茶・片栗の文字も六朝体で、不折の作だとすぐにわかる。お湯を入れて葛湯でいただくのが本筋だが、暑い夏の昼下がり、涼しげなガラスの器に善哉という文字のある紙箱の葛粉を入れ冷水を加える。冷たい水にもよく溶ける。淡い小豆色でややとろみのある飲み物となり、すぐに小粒の白い霰(あられ)と小さな二羽の鳥が現れる。なんとも可愛らしい。外の強い日差しを避け、日陰となっている部屋で飲む冷たくて甘い葛の善哉は、アイスコーヒーとは違って、打ち水や風鈴の音が奏でる涼しさを感じることができる。書きつけには「お湯は勿論、水や、氷にも、すぐお好みの物が、おいしく出来ます。猶包紙の圖案は、棋界の大家、神坂雪佳先生に、特にお願ひして、木版多色機械摺りの日本趣味豊かなものであります。」と書いてあり、包紙の松の絵が神坂雪佳の手になることがわかる。松の異名が、不老であることがこのお菓子の名前の由来になっていることも書かれているのだが、書きつけに不折の名前はない。しかし、包紙の不老泉という文字の横にはきちんと不折書という小さな書き入れがある。お店の方に聞くと先代が不折にお願いをして書いてもらったと話してくれた。

 「新宿中村屋」のレトルトカリーを食べながら、「日本盛」を飲む。開高健のように羊羹を肴に、ウィスキーを飲む作家もいることだから、これくらいは許されるだろう。デザートには「不老泉」の薄茶を合わせる。お店では並ぶことのないメニューである。家で食するからこその不折を偲ぶ組み合わせ。頑固爺さんのような不折の写真を見ながら食べるのもおつである。

●正岡子規『墨汁一滴』岩波書店 1927年・・・死の前年、明治34年に書かれた随筆である。苦しみの中でも冷静な観察眼が印象にのこる。不折との出会いは「大関鍵(だいかんけん)」であったと書いている。関鍵は、かんぬきとかぎを表す言葉だが、「最も重要なこと」を意味するときにも使われる。
●中村不折 台東区立書道博物館編集『僕の歩いた道 −自傳− 中村不折』 2016年


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