第5回 ミシェル・ルグランさん

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Photo:Production Michel Legrand/F Sharp Productions

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 アルファミュージックの創設者である村井邦彦が師と仰ぐ作曲家ミシェル・ルグラン。存命であれば今月24日に89歳を迎えていたはずだが、残念なことに彼はすでにこの世にはいない。2019年1月26日、家族に看取られ天国へと旅立ったからだ。

 没後、遺族らによって財団が設立されるも、コロナ禍の影響を受け、昨年は表立った活動は行われなかった。しかし、先頃、彼の名を冠した音楽賞が設立、第一回の授賞式は今年6月19日、彼の終の住処となったパリ郊外の自宅(広大な敷地内にある古城)からオンラインイベントとして開催されるとアナウンスされた。また、今夏には彼が残した自伝『ミシェル・ルグラン自伝 ビトゥイーン・イエスタデイ・アンド・トゥモロウ』(アルテス・パブリッシング刊)続編の日本語訳の刊行が予定されている。

 ミシェル・ルグランとアルファレコードの関係は、今を遡ること43年前、彼が映画『火の鳥』(78年)の音楽を担当した時に始まった。これは同映画のプロデューサーを務めた市川喜一と、当時、アルファレコード社長だった作曲家の村井邦彦による発案で、村井にとっては、これが初の映画プロデュースであると同時に、初の映画音楽プロデュースだった。学生時代からミシェルを敬愛していた村井は、ミシェルに作曲を依頼するために交渉を重ね、快諾の返事を得たあと、すぐさまパリに飛んで、現地で綿密な打ち合わせを行なったという。もっとも、村井がミシェルと知り合ったのはそれよりも前、1971年11月に開催された『第2回世界歌謡祭 World Popular Song Festival in Tokyo '71』のリハーサル現場である。そうしたふたりの交流については、村井の著書『村井邦彦のLA日記』(リットーミュージック刊)に詳しい。

 やがて、ミシェル指揮のもと、ロンドン交響楽団の演奏で録音され、レコードは映画の公開前、1978年6月5日に、組曲と主題曲、そして「ミシェル・ルグラン・メドレー」を収録したアルバムと、主題曲と、組曲から抜粋された「愛は永遠に」を収録したシングルとして発売。現在それらはソニー・ミュージックダイレクトより『火の鳥オリジナル・サウンドトラック〈スペシャル・エディション〉』として関連楽曲と共にCD化されている。

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『火の鳥オリジナル・サウンドトラック〈スペシャル・エディション〉』


 この『火の鳥』の音楽制作を機にミシェル・ルグランとアルファレコードの間に信頼関係が築かれ、その延長上に〈アルファ・ジャズ〉でのアルバム制作が実現するに到るわけだが、同レーベルのために新作が企画・発売されたのは、それから13年後のこと。ミシェル・ルグラン・トリオによるアルバム『パリジャン・ブルー』(91年12月21日発売)がそれで、彼のトリオ名義でのスタジオ録音アルバムとしては『パリ・ジャズ・ピアノ』(59年)以来32年振りの作品になった。

 続く2作目『オータム・イン・パリ』(92年11月21日発売)もトリオ編成で、前作共々アルバム用の書き下ろし曲が用意され、前作は2曲、本作には4曲が収録されている。そして、その3年後に発売されたのが、『シェイド・オブ・メモリー』(95年7月19日)だ。これは、ミシェルの盟友で映画『シェルブールの雨傘』や『ロシュフォール の恋人たち』の監督ジャック・ドゥミへのトリビュート的な内容のアルバムで、本作ではトリオ演奏のほか、2曲でハーモニカの名手トゥーツ・シールマンスがゲスト参加している。

 ここでの書き下ろしは表題曲となった「The Warm Shade Of Memory」のみだが、アルバムのため特別に映画『ロシュフォールの恋人たち』(67年)と『ロバと王女』(70年)の劇中歌メドレーが用意された。これら3作は日本独自企画ということで、親日家のミシェルにとって特別なアルバムだった。

 なお、現在はこれら3作から編んだベスト盤が『ミシェル・ルグラン アルファ・イヤーズ』として発売中。同作は、当初ミシェルの生誕75周年を記念して、2007年10月の来日公演に合わせて企画されたが、選曲が終わった直後に、急遽3作すべてがストレート・リイシューされることになり、その結果、未発売に終わったもの。昨年、追悼盤として、当時ミシェルが承認した選曲・曲順のままに商品化されている。ぜひ、その軽やかな演奏に耳を傾けて頂きたい。

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『ミシェル・ルグラン アルファ・イヤーズ』

 最後に彼の経歴を記しておこう。ミシェル・ルグランは、1932年2月24日パリ生まれ。父はフランスを代表する楽団指揮者レイモン・ルグラン。母は楽譜出版社を経営するマルセル、そして2歳年上の姉は、のちにスウィングル・シンガーズのリード・ソプラノとして名を成すクリスチャンヌ。まさに絵に描いたような音楽一家のなかで育っている。11歳の時にパリのコンセルヴァトワール(国立高等音楽院)に入学。翌年には上級ソルフェージュ第1位をとって首席となり、その後1949年には和声学部第1位の成績を修め、1952年、20歳にして通常より4年も早く同校を卒業。ほどなくプロとしての活動をスタートさせている。父の手伝いで映画音楽に手を染めたのは10代半ば。以後、『過去を持つ愛情』(54年)を振り出しとして、本格的に映画音楽を書き始めるが、その一方で自己のグループを率いては、パリのクラブで熱演を見せ、若くして周囲の話題をさらっている。作編曲の才に長け、時にその歌唱をも披露する多彩な音楽性は、すぐさまレコード会社の目に留まり、やがてピアノ・トリオや楽団名義でのレコードを矢継ぎ早に発表。1958年には、マイルス・デイビスやビル・エヴァンスらを従えたリーダー作『Legrand Jazz』で、その名を全米に轟かせた。

 また、帰国時に盟友ジャック・ドゥミと組んだ『シェルブールの雨傘』(63年)のヒットは、彼に世界的な名声をもたらし、続く『華麗なる賭け』(68年)、『おもいでの夏』(71年)、『三銃士』(73年)も国内外で高い評価を得ている。

 80年代以降は、映画音楽に従事する傍らでクラシックの分野における指揮や監督業にも意欲を見せ、90年代後半には、初の本格的な舞台劇『壁抜け男』で新境地を切り開いた。コンサート活動と舞台音楽の創作にも意欲的で、アレクサンドル・デュマ原作の『モンテクリスト伯』、椿姫を題材にした『マルグリット』、バレエ『リリオム』などの公演が話題となり、2017年には、かねてより念願だった2つの協奏曲(『ミシェル・ルグラン ピアノ協奏曲、チェロ協奏曲』)を発表。2018年には、オーソン・ウェルズから託されながらも制作が頓挫していた幻の遺作『風の向こうへ』の音楽を作曲し、図らずもがそれが彼にとって最後の映画音楽になった。華々しい受賞歴を持ち、3度のアカデミー賞と複数部門による5つのグラミー賞、さらには各国での映画・音楽賞や功労賞の受賞およびノミネートなど枚挙に暇がない。

 さまざまな分野で意欲作を次々と発表していたミシェルだが、2019年1月26日の明け方、療養先のパリの病院で逝去(享年86)。葬儀は2月1日に、遺作となった舞台『ロバと王女』の上演会場、マリニー劇場で営まれた。亡骸はパリのペール・ラシェーズ墓地に埋葬されている。ミシェル・ルグランは、音楽家として、生涯現役だった。

Text:濱田髙志