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初めてのシンガポール

僕の人生で初めてシンガポールに来たのは1996年7月。

当時大学生3年生だった僕は、大学の友人の1人と一緒に夏休みを利用してシンガポールに滞在していました。

当時はアトランタオリンピックが7月19日から開催されていて、スポーツ好きだった僕は毎回欠かさずみていたオリンピックだったのですが、旅行中ということもありテレビを見る機会がほとんどなく、あまり記憶に残っていない。唯一鮮明に覚えているのは柔道で野村選手が金メダル、金メダルを期待されていた田村選手が決勝で破れて銀メダルだったことぐらい。サッカーでブラジルに勝ったマイアミの奇跡やモハメド・アリの聖火点灯なんかは調べてみて、あーそうだったっけ、という程度でした。

大学時代をよく一緒に過ごしていた友人が父親がシンガポールのパナソニックに単身赴任で駐在しており、リャンコートにある現在のノボテル、当時のニューオータニホテルに宿泊していたので、そこに2人でお世話になりました。彼はそれまでにも何度かシンガポールに来ていて、チャイナタウンで偽物のタグホイヤーをお土産に買ってきてくれたりと慣れていました。

当時あって今も残っていると僕が記憶しているのはリャンコートにある紀伊国屋、明治屋、そして連れて行ってもらったバード・パーク、ナイトサファリといったところ。当時ものすごく賑わっていたクラークキーのサテストリートや露店は、今やすっかりナイトスポットに変わってしまっていて、当時をしる僕としては驚いたことの1つでした。

どう行ったのかよく覚えていないのですが、彼のお父さんに進められて2泊3日ぐらいの日程でマレーシアのTioman島にショートステイしたことは鮮明に覚えています。大自然の島という印象で部屋にはトカゲや虫がいたり、島内には巨大なイグアナが普通に歩いていたり、インパクトが強かった。レストランで食べるメニューにある「Prawn」という単語がわからず、横に書いてある中国語が「虾」となっていて、つたない英語で店員に聞いてみると、絵を書き始めてくれて、なんとしっぽが長い絵を書き始めたので、僕達の不安が的中したと思って、「やっぱりヘビかー」と思っていたところ、エビであることが判明し、注文しておいしく頂いた。

バードパークではダチョウと写真をとったこと、ナイトサファリではホワイトタイガーとか動物たちほとんど寝ていて意外と迫力がなかったこと、チャイナタウンで予定通り偽物タグホイヤーを調達できたこと、クラークキーで初めてドリアンを食べて、匂いのキツさで頭痛がしたこと、クラークキーのサテストリートのサテがめっちゃおいしかったこと、そんなことしか残っていない。

ニューオータニホテルのエアコンも茶色の木目調のデザインで古めかしく、そういう意味でのシンガポールの印象は、都会あるいは先進国という印象は一切残っておらず、大自然(これはマレーシアだったんだけど)、アジアの地方都市という印象で、当時住んでいた京都よりもずっと田舎で、実家があった岐阜県多治見市と比較しても同じくらいだった記憶しかない。たしかに金曜のサテストリートで煙もくもく時はたくさんの人が集まっていて、人口の多さと活気は感じたけども、そのぐらい。

1年前の夏休みには初めての海外ということでアメリカ・ロサンゼルスに1ヶ月滞在していた。MLBでの野茂のデビュー、LAダウンタウンの先進的な超高層ビル群、10車線以上ある巨大なフリーウェイ、ラスベガスの絢爛豪華な景色、グランドキャニオンやブライスキャニオンといった広大で絶景の国立公園、アリゾナフェニックスの砂漠、英語での会話、ユニバーサルスタジオ、マジックマウンテンの絶叫マシンなど、全てが世界一と感じさせるスケールの大きさと刺激に比べると、シンガポールは物足りなかった。赤道直下で暑いだけの国、そんな印象だった。

LAの滞在は父の高校時代からの友人宅にホームステイでお世話になったのだが、実はその方からその年の夏休みもアメリカに来ないか、就職に向けても大切な時期だから(当時大学3年生)、こちらのビジネスや技術を教え込みたいという素晴らしいお誘いを頂いていた。

社会人になってからITの世界に身を置き続けている僕にとって、この時のこのオファーを断ったことをとても後悔していた。すでに先行して友人とシンガポール行きを計画して先方お父さんも準備していただいていたし、1度行ったことのある国と初めての国という魅力もあり、このときはシンガポール行きを選んだのだが、社会に出てこの世界で勝負をし始めてからは、言語面も含めて「あー、あのときアメリカに行っていればなあ」と何度も後悔をした。

ところが、この数年でシンガポールとビジネスで関わるようになり、当時の選択が間違いでもなかったということになってきた。やはり1996年に実際自分の目でみたシンガポールを知っていることは、この国が20年足らずでどれほど進化し、成長してきたのかを強烈な違いで理解することができるし、それを自分の言葉で語ることができるということは、非常に重要だと感じている。結果的に当時の自分の選択が正しくなったのだなと。

とはいえ、当時は日本からも飛行機で8時間ぐらいかかった記憶もあり、こんな暑くて遠くにある普通の国、というシンガポールに何の魅力も感じていなかった。それが子供を連れて来たいと思うようになるとは、人生わからないものです。

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