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ガス火の青さ

「なんでこの火は青いの?」
3歳半の娘がキッチンのコンロを見て、そう尋ねてきた。

そうか、この子はガス火を知らないのか。
引っ越す前の家はオール電化だったから、青い火を見るのは初めてだった。
焼き畑をしたり、どんど焼きをしたり・・。
「火」という存在は身近にあるけど、「ガス火」を見る機会はだんだん減ってきているように思う。


私が子どもだった頃住んでいた家は、トタン屋根の小さな平屋だった。
小学6年生になって家を新築するまで、家族6人がその狭い家で暮らしていたのだから、今になって思うととてもすごい。
当時トイレのドアはベニヤ板みたいだったし、汲み取り式(いわゆるボットン)で、何回も便器の中に片足を落としたことがある。
友人の妹は我が家のトイレを見て大泣きし
「こんなところにいられない!」と走って出て行かれたこともある。
トイレの照明なんてとっくの昔に切れてしまっていて
しかも高い位置に電球が下がっているものだから、
誰も取り換えることができなかった。

そのせいで夜中トイレに起きてしまった時は、懐中電灯を片手に廊下を歩いて行ったものである。

トイレの思い出もなかなかだが、未だに私が怖いと感じるもの。
それが「お風呂の湯沸かし当番」だった。

当時、我が家のお風呂は「バランス釜」とよばれる給湯器がついていて
浴槽に水を張って、バランス釜で着火させ、水を吸う➡ガスで温めたお湯を吐き出す仕組みになっていた。

お風呂が沸くのに時間がかかる・長く沸かしたままにすると
熱湯コマーシャルで使用したであろうお湯よりも熱くなってしまうのだ。飯今私が熱いお風呂に平気で入れるのは、子どもの頃の体験からきているにちがいない。

今となってはレトロな風呂釜だが、当時ガスの元栓を開け、つまみを回し
点火させる作業があった。私は点火する時の「点火窓」を覗くのが大嫌いだったのだ。
青い火で点いたらOK、オレンジや赤い火だったらすぐ親を呼ぶようにいわれた。
毎度毎度緊張したものだった。
いくら親が近くにいたとしても、火が点火する時の大きい音も相まって
自分の住んでいる町がなくなるのではないかと思っていたほどだ。

バランス釜の風呂に必須だったのは言うまでもなく「かきまぜ棒」だ。
地獄の鍋のように煮えたぎった浴槽にちょっとずつ水を加え
風呂底から一生懸命かきまぜていたのが懐かしい。
「なんでこんな重労働させられるんだ!」と
兄妹じゃんけんで負けた自分をいつも恨んだ。


今でも時々あの青い火を見かけると、当時のボロ家をたくさん思い出す。
夏になれば扇風機、冬の朝には灯油ストーブの前を取り合っていた。
冬の時期になれば
おしくら饅頭をしながらストーブの特等席を奪い合う兄妹たち。
絶対にやりたくない、真冬に灯油を入れる作業。

ガスの青い炎は、私のたくさんの思い出という宝ものを引き出してくれた
人生の灯なのかもしれない。

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