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3.11の思い出

3.11になると思い出すことがある。

この話はいい話でもなければ教訓とかもないのでいい話が読みたい人は読むのをやめましょう。


当時私は大学生で、特に被害のない地域に住んでいたのでテレビで津波の映像が流れているのをなんとなく見ていた程度だった。
しかしここで私は初めての経験をする。


SNSで親しくしている人を亡くすということだ。


当時、GREEというSNSにハマっていた。というより、若干飽きていた頃だった。

その人をAさんとしよう。
Aさんは、どういうキッカケだったかは忘れたがネタ系コミュニティかなんかから知り合い絡むようになった人だった。
確か、主婦でまだ幼い娘さんがいた。たわいのない冗談を言って、雑にコメントしたりされたりという感じだった。

東北に住んでいると言っていて、最近地震が多いなあ玄関ぐちゃぐちゃで片付けるの大変と3月の始めあたりに言っていた。
そして来る3.11。この日からこの人のログインはぱったりなくなった。

これで死んじゃったかも……ショック!とか命の尊さを知りました……えーんとかの話をすると思ったか?
この程度では思わない。無事だろうがそうでなかろうが、SNSどころではないだろうと思っていた。

しかしここから別の意味で急展開が始まる。

共通のグリ友(グリーでつながってる人、面識はない)がAさんは大丈夫かどうしたんだと取り乱しだしたのだ。
まあ私も心配じゃないかと言えば嘘になるし、心配だなあというようなコメントを返したが
内心はこの人が騒ぎ出したおかげでなんだか冷めてしまった。

というのも、この人はAさんに嫌われていたのだった。
ほんの数日前に、ツイッターでいうところのDMみたいなやつでこの人が苦手だと相談されていたのだった。

その人はAさん捜索隊!みたいな名前の私と二人だけのコミュニティを作り、心配でご飯も食べられないだとか泣いてしまっただとか書き込んでいた。
私は別にこれが嘘くさいとは思っていなかった。この人はこういう激情家なのだ。

そして数日がたち、その二人きりのコミュニティにいつもとは違うことが書き込まれる。

「Aさんのリア友の書き込みをみた。新聞の死亡者の欄にAさんの名前があったと」

私はあまりインターネットの情報を信頼していない。
インターネットは嘘ばかりで、危ないところだ。
小さい頃からずっとそう思っていた。特に刺激的な言葉は信用してはいけないと。

これが本当のことなのか、今でも100%は信じてはいない。


しかしこれでひとつの終止符が打たれたことだけは確かなことなのだった。

この人はその日から、泣いたというような激情的な投稿から
「Aさんを返せよぉ……」といったような弱弱しい言葉に変わった。

それは何日も続いた。
テンションの高い投稿の多かった人だったが、そればかりになった。
これはこの人にとってそんなに大きな傷を残したのかと思った。

私はかける言葉もなく、そこからしばらくしてガラケーからスマホに変えてしまい
GREEのログインパスワードも忘れ、もうそこに入ることもなくなった。
今その人がどうしているのかは知ることはできない。
もうケロッとしているのかもしれないし、今でも思い出して私と似たように語っているのかもしれない。

人の関係とは不思議なものだ。
少しでも時期がズレて、二人が仲違いをしていればAさんがどうなったかも知ろうとしなかっただろう。
あんな風にショックを受けたりすることもなかっただろう。

打ち上げられたある一瞬の波の形がいつまでも頭から離れないように、
人の心も水のように流れ、その複雑で変わり続ける形のなかで奇跡的に忘れられない瞬間を作り出すのだ。


3.11が近づくと、いつもこのことを思い出す。


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