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旅に出よう。青春18切符と文庫本を携えて。 (房総半島の旅 1)

このまま家に籠るのは惜しい。そんなよく晴れた日だった。気温も3月にしては高く、久々にコートなしで出歩けるような暖かい日だった。つい先日、上野公園を散歩すると寒桜が咲いていた。季節は春だった。

こんな日には電車で旅をするに限る。車窓を無心で貪るように眺めるに限る。そして飽きたら本を読むのに限る。それにも飽きたら寝れば良い。電車に乗っているだけだから、別に晴れてなくてもいいのだが、僕は外に出かけたかった。僕の家は北向きで、太陽の光は差し込まなかった。ただ、向かいのマンションや、道路からの反射光が僕の部屋に差し込むのだった。部屋からそんな暖かい春の日差しの反射を眺めているだけでは物足りなかったのだ。

ちょうど青春18切符が利用可能な時期だった。青春18切符とは期間限定でJRの普通列車が乗り放題となる切符である。1日およそ2400円程度で電車に乗り放題なのだから使わない手はない。ただ、普通列車に限るので、よほど時間に余裕があり、かつ電車に揺られる時間を有意義に使える自負がなければ、利用するのに向かない。それか電車好きか。僕は特別電車が好きというわけではないが、電車に乗っている時間が好きだった。地下鉄に乗っているわずかな時間の間にフラットシートに根を張ったように、降りたくなくなってしまうことがよくあった。青春18切符での旅は、そんな自分にとっておあつらえ向きの旅だ。いくらでも根を生やしていい。腐ってしまうほど長いかもしれないが。

旅をすると決めても、どこへ行くかを決めねばならぬ。順序が逆のようだが、僕の旅は往々にしてこうである。行きたいところがあって旅をするのではない。旅をしたいから、いやいや方角を決める。動かずに旅はできない。山手線をぐるぐる回るのは面白くない。こんなにいい天気なのだから、海を見に行こう。車窓一面に広がる、細かい波の襞に、太陽の燦めきをみよう。そして日帰りがいい。ホテルで家のベッドが恋しくなるのは目に見えている。自宅の家賃を払っているのに、ホテルで宿泊するのは、2重の支払いである。勿体無い。これらの条件を勘案して、僕は房総半島に行くことに決めた。特に目的地は特にない。ルートがあるだけである。房総半島を外まわりに一周する。弾丸旅行ではなく、ブーメラン旅行と言ったほうが正しいかもしれない。行って同じところに帰ってくる。その間、止まることはない。

電車の時刻は知らない。乗り換えるべき駅も知らない。どれくらい時間がかかるかも知らない。ただ、房総半島をぐるっと回るだけである。こんな単純明快なことはない。腹が減ったら降りる、乗り換えまでに時間があったらそこら辺をぶらつく。なんなら次の駅まで歩いてもいい。この気ままさが一人旅の醍醐味だ。予定を立てるのは旅の醍醐味の一つであるが、今回の旅は予定がない事を醍醐味としよう。

僕はそこまで決めておいてスマホのバッテリーが30%を切っていたことに気づいた。まあなんとかなるだろう。スマホのバッテリー残量の少なさは、スリリングな演出の一つとしよう。僕は急いでトートバッグに文庫本や財布を放り込んだ。萩原朔太郎の詩集、石原慎太郎の太陽の季節を持つ。そして東京駅へと向かう。まずは切符を買わねばならない。時間はすでに正午を回っていた。

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