邪な落とし穴

[1] ある物をはかる、ある者のかたる、意見、見解、考察などの、うがった見方は、時には共感を抱き、時には批判的な思いを抱かせる。後者を例えるならば、その者が、ある命題を掘り下げながら持論を1から10まで段階的に説明したとしよう。

[2] 1や2は理にかなっていると首をタテに振るも、3は筋道として腑に落ちない。4から8までは断片的には理解できるが3を踏まえたうえでの論理であり、また9では、かなり何言ってるか分からないのであれば、どれほど、うがった見方から導き出された結論であると、うたったところで納得がいくわけがない。10人10色の思想の縮図のごとき事象である。

[3] うがった見方をするほどに、世界は、その膨大な情報量にともなう複雑さに、立ち位置や、方向性や、落とし所を見失い、己で掘った墓穴のごとき恣意的な結論に話を持っていこうとする主張も見受けられる。持論の値打ちが高いと踏んだ、強引かつ盲信なる者の仕業かな。それはきっと異星人。私はきっと地底人?

[4] 『うがった見方』という表現には、掘り下げて物事を考えるといった意味がある。しかし、なんでも、うたがってかかるような見方をするという誤用を、正しい使い方だと信じている者が全体の半数前後、現時点ではいるらしい。

[5] 『爆笑』という言葉がかつて、一斉に大きな笑い声をあげる様を正用とし、一人で爆発的に笑うのを爆笑と呼ぶのは誤用であるとされてきたが、常習的にその意味での使用も増えたために、辞書のほうがその意味も採用し、改訂したという事の流れがある。

[6] 『うがった見方』もいつしか、事の流れ次第では同じ運命を辿る可能性がなきにしもあらずだが、比較的に好ましい印象を持つ言葉に、好ましくない印象を受ける意味を付与することなど、果たして有り得るのだろうか?という懸念がある。これはけっこう『ヤバイと思う』事案ではなかろうかと、うがった見方。

[7] 『うがった見方』すら、うがった見方をしなければならない胸のうちに芽生える、うたがった見方。突き詰めたつもりでも、ここはまだ表層の一部なのかもしれないと、ナニも信じず、ダレも信じず、ワレをも信じずと深層へと、むかった見方は、どっちの立ち位置の『うがった見方』をうがった見方?

[8] 『うがった見方』の、その先に、差し込む光を見い出したとて、それは弧を描くようにして深層からは逸れてしまった、タテ穴ではなく、ヨコ穴ではなかろうかという方向性のうがった見方をうがった見方。

[9] 『うがった見方』をうたった見方で表層ばかりを、うがってみたら、くらった力が、うばった平場の、ぬかった近場は穴だらけ。歩く事をすら妨げ、このままおったら墓場だぜ。自業自得の思想地獄。立ち位置も、方向性も、落とし所も見失った墓穴という名の結論たるや、因果と韻が、掛かると踏んだ、強引かつ盲信なる

[10]  うがった物の見方から
   ぐだった者の仕業かな

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