茶番劇~どいつもこいつも~

あらゆる難解な言語表現に対する読解力は持ち合わせてはいない。

先日、知人に誘われて、渋々ともに観に行った映画でも、作品のテーマやメッセージ、人物の思想や動機、何もかもが腑に落ちないデキであった。

帰りの電車の中で、その旨を伝えると、その返答が『芸術性』なるものを感覚的に伝えようとする言葉のチョイスばかりで、かなり何言ってるかわからない。

自分から誘った手前、駄作であるとは認め難く、引くに引けなくなったのではないかとヒソカに私は確信している。

知人の最寄り駅に到着し、別れを告げ、電車が走りだした数秒後に一人の青年が私に声をかけてきた。

色白の青年は自分の目的地である駅の名を告げ、この電車はその駅へ向かうのだろうかと私に訪ねてきた。

私の降りる駅の三つ手前の駅であったため、どのくらいの時間で到着するのかも含め、その内容を彼に伝えた。

役目を終えたと彼に背を向けようとした時、ワタシとアナタのコミュニケーションはこれからだと言わんばかりに、彼は私にこう問いかけてきた。

「アナタは神を信じますか?」

茶番劇の始まりである。

彼は私の知らない国で生まれた父親と、私の知らない国で生まれた母親のもとに生まれ、私の知らない宗教を布教中の若き宣教師であった。

世界はどこまでも広く、私の教養はどこまでもせまく、彼の服装はどこまでもカジュアルであった。じぶんちかよ。

彼は世界の現状と我が宗教の信仰が与えるその影響とやらを独自の解釈で語り始め、その流れの中で私のフルネームを訪ねてきた。

電車の中のすべての人間が聞き耳を立てているように思えた。恥ずかしすクライシス。神はどこまでも私に試練をお与えなさる。

「木村拓哉です」

そんなボケをかます余裕もなく、渋々、本名を名乗るチキンな私。質問攻めは続き、神を見たコトはあるか?の問いに私はナイと答え、あなたはあるのか?の問いに、彼はワタシもナイと答えた。

私は岸辺で踏み留まっている彼の姿を想像した。崖っぷちの人間なら知り合いに何人もいる。対岸の火事に放てるモノは何もナイ。

話しの終盤、その勧誘を明確に断ったにも関わらず彼は

「アナタはいい人です」

と澄んだ目で私にそう告げた。

目的地の駅に到着したと同時に、彼は私の頭に手をかざし、謎の言語で呪文のようなモノを唱え始め、その行為が終わると開いた扉のほうへと、すみやかに歩き去っていった。


「ちょと待てよ!」

肝心なコトは
わかるように伝えてくれよ      



    

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