命の水

崇高な理念も受け手側の捉え方や判断により、その形を歪めてしまうような事象は数多く存在する。

宗教しかり、牛丼屋しかり。

とある月曜日、今週中に終わらせればいいと任された仕事に対して余裕ぶっこいていると、急にやっぱり明日までに終わらせるようにという伝達を受ける。何でも突然、決定した客側の役員の訪問により、その仕事内容が完了した状態を見せておきたいという上層部の主観的なご都合であるらしい。

知るかボケである。

人ひとりの能力には限界があり、残された時間は多くはない。個への負担に特化した闇に染まりし漆黒の刻。人はそれを『残業』と呼ぶ。ふたつ返事で手伝いを受けてくれた後輩と二人で終電に間に合うか否かの時間まで作業し会社を後にする。

以前、似たような状況に置かれた時に「君はホントに残業好きだねぇ、あとはよろしく~」と、ぞろぞろと定時15分前に会社を後にする上司連中をマジでぶっ飛ばそうかどうか迷った事があるとかないとか。

描けぬのか?絶望の未来が!

極度の空腹のまま牛丼屋に入り、コップ一杯の水を出されると同時に注文を済ます。水のたっぷりと入った透明の容器は手元にはない。

小さなコップの中の水を飲みほし、店員に水を要求するも、かなりの近距離で無視される。注文した品が届いたと同時に水を要求すると、水のたっぷりと入った透明の容器で小さなコップに水を注いでくれた。

なぜ水のたっぷりと入った透明の容器を客の手元に置かぬのか?以前、調べた情報によると『お客様の飲まれる水は店員がおつぎするものです』といった上層部の崇高なる理念によるものらしい。諸説はある。

しかし、その末端で働く店員はさっきから何か調理もレジも接客も一人でやってねえか?上層部が真にやるべき事は『増員』に他ならない。人ひとりの能力の限界を見誤れば崇高な理念も瞬く間に机上の空論と化すのである。それかシフトの茶髪ピアスがドタキャンしたかどっちか。

限られた時間の中、人を欲すれば経費を要し、経費を欲すれば時間がかかる。人手不足、経費不足、締め切り。

『ヒト、カネ、トキ』
社会に潜む魔物の三すくみである。

空っぽのコップを前に咀嚼に手間取る、この状況での締め切りはご飯を喉に詰まらせた我が死を意味する。私は立ち上がり、お客様の手の届かない場所に置いてある水のたっぷりと入った透明の容器を指さし、口をおさえながら「それとってー!」と店員に叫んだ。この状況での無視は、相手に果たし状を突き付けると同義である。

待つことをやめ
せめてきた締め切りに
彼は動揺を隠せなかった


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