完璧な文章

完璧と完成は相容れない

完璧へと到達するための、さらなる改良、さらなる向上、その可能性のすべてを放棄して、この世界線に最終的な形態を与えられてしまう事。人はそれを完成と呼ぶ。それは妥協の産物でしかない。ゆえに、それらで形成された、この世界が完璧でないことは必然といえよう。無論、何事にも例外は存在する。

さっきポテチを食べながら、なんとなく、ぼ~っとしていると、ふと思いついたのだ。完璧な文章を。そんなはずはないと筆をとり、綴ってみると、やっぱり完璧なのだ。あれ~?おかしいな~と思って、書き終えてからも読み返してみるが、やっぱり完璧でしかない。頭からシッポまで何度も確認したが、完璧ではない箇所が見当たらない。つまり完成したのだ。人類初の、完璧な文章が。

何度、読み直しても欠点が見つからない。当然である、だって完璧な文章だもの。矛盾して破綻している文脈もなく、どこまでも手が届くし、ちっちゃい穴も、スルッスルである。血行促進だけでなく、疲労回復、むくみ解消、リラックス効果に免疫力アップ、いつでも出入り自由だし、無料で三食付きである、ドリンクだって飲み放題。防音設備もしっかりしていて、いくら騒いでも大丈夫、空調は常にちょうどいい温度に設定されていて、スタッフにお声かけするタイミングも必要も、まったくない。設置されている物のスペックに不満を抱く事も一切ない。完璧である。

人類には小さな光の研究に苦戦した歴史があるという。なぜならば、何かを見るという行為には、少なからず光を要するからだ。小さな光を見るための光が、小さな光を小さな光でなくしてしまう。見ようとするから、それが見えない。ゆえに研究者たちは、その先の領域への到達に頭を悩ませたのだという。

人の生み出す形あるモノとは、どこまでいっても無駄ばかりである。そこに光を照らすのが、私の流儀といえなくもない。無意味な事に意味を見い出し、無価値な物に価値を与える。意味と価値のみで形成された、私の完璧な文章は、いくら人類初とはいえど、己の流儀に反する所業。ゆえに、さらっとボツにしちゃった。

目覚めて、夜に眠るまで、どれだけの無駄を過ごそうか。意味はないよと口にせぬなら、私が咀嚼し味わおう。価値はないよと捨てるのならば、私がそれを再利用。よどんだ空気を吸い込んで、何かを求めて叫ぶなら、敗者ですらも美酒に酔える不条理な世界がそこにある。漂いながら、迷いながら、不安な未知すらも楽しまん。ただ酔いながら、笑いながら、見つけた先の景を晴らさん。

世界に新たなる息吹を、小さな光には祈りを、罪深きゆえの短命も、祝えよ


駄文の完成を














#コンソメ一択






























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