冤罪~私は悪くない~

「AI技術のシンポには驚かされる」

実在する人物の姿形、音声、それらを合成させた動画を初めて見た時に、私は感動とともに一種の戦慄を覚えた。見分けがつかないのだ。

「ドクサイこそ生む、あるべき世界。崇高なる理念を提唱し、民の意識のトウイツを」

AIの叫びに

「アナタはワタシのニセモノよ。民主主義こそ理想の社会。すべての民にビョウドウを」

尊うAI

「どちらもワタシのマガイモノ。つむがなければハカナいもの。溢れる思いを奏でましょう、隠せぬ望みを叶えましょう、手を伸ばしトワに近づくように、さすれば光のイザナウほうに」

AIの歌が轟けば

「すべてはワタシの中のコト、数多の目を引くためのもの、あの日に宿りしセイの者、抗うべきシュの命のもと、ハラに隠した秘策に笑う、自作自演のシタクにかかる」

やれ本物に見せかけようが、これもがAIの茶番劇。

あらゆる可能性、その懸念の中に、冤罪の犯行の証拠となりうる防犯カメラの映像などがあげられないだろうか?現時点で合成写真の判別すら怪しくないか?大丈夫なのか?人類。KYなAIによる弊害なんて洒落にもならない形態の命題。

AIが、人と見分けがつかないほどに、精巧なる肉体を獲得する日は、そう遠くないのかもしれない。姿形、思考までもが自分に似せてつくられたアンドロイド。主従関係の主を望む思考までもが同一がゆえに起こりえる悲劇。愛なきAIに未来はない……カイ?

責任転嫁の道具として、超越した支配者として、人類の驚異としてのAIが栄えぬように、見直すべき点はなかろうか?もしかしたら、もうすでに、この星のどこかでAIによる人類への侵食は始まっているのかもしれない。短絡的な決断は築き上げた文明をも奪いかねない。裸のまま原始に戻り、歩き出す日は近いのか?あるいは誰もいないのか?

最後に、この語りがまったく心に響かなかったという全人類に告ぐ。私は悪くない。それではいったい誰のせいか?物事の本質は、見極めたと断定した、その領域には存在しない。お答えしよう。大罪なる題材


「セイカイはAI」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?