孤独の対義語

確かにうなされ目覚めたけれど、夢の中まで思い出せない。乾いた喉を潤して、ベッドに身体を横にする。できることなら、もう少し……できることなら、もう一度……

眠れない深夜に『妄想』が我が脳内に訪れる。今夜の題材はありそうでないものの存在らしい。例えば孤独の対義語などは調べても、その存在が確認できない。ひとりぼっちで寂しい様子を表す、その言葉の対義語に、我が妄想は興味を示す。断片的にだが、寂しくない様子を表す言葉に手掛かりがあるやもと思い浮かんだが、寂しさには度合いが存在するが、寂しくない状態を数値化するならば『0』ではなかろうか?それは対義とはまた異質の概念なのかもしれない。『寂しい』の対に『賑やか』を当てはめようとしても、そこには個の感情が欠落しているように思えて我が論理からは外れてしまう。

そのような妄想を膨らましている時に、あるひとつの言葉が候補として思い浮かんだ。その言葉とは『もみくちゃ』である。これほどふさわしい言葉は他にあるまい。なんだか興奮してきたぜ。『ひとりぼっち』と対極に位置する状態で『寂しい』と真逆の感情も内包しているではないか。その感情とは『ギャーーーッ!』である。あるいは『イヤァァァァ!』でもある。または『もういいっちゅうに!ホントもういいっちゅうに!!』ついに見つけたりと断定しようとすると、すぐさま否定的な意見も思いつく。それは度合いの問題である。ほんのちょっぴりでも孤独は孤独である。ほんのちょっぴり『もみくちゃ』なんて状況は、この世には存在しないであろう。そんなもん、ただの『すりすり』である。

孤独という言葉を形成する漢字二文字の意味をひらがな表記でならべると『ひとりひとり』と表すこともできる。自然数の最小単位をつてに、思考の歩みをさらに進めようとしたさなか、凄まじい睡魔に襲われる。出口のない迷路をさまよった疲労感が一気に訪れたようだ。数字の『1』に絶対的な対義語が存在しないように、孤独にも、その逆などないのかもしれない。見あたらない。『孤独の対義語』なる未確認の概念にすりすりしている間は、ほんのちょっぴりだけ孤独な現状を忘れられた。宇宙一どうでもいい我が妄想よ、さようなら。何の成果も得られんでした。フトンかぶって、おやすみなさい。夢の外でも

『いっぱいいっぱい』

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