志村の非文化的日記②〜BGMは全てミスチルの曲で編

1月XX日

 正月が終わり、次のイベントであるバレンタインに向けてデパートやらスーパーやら街が意匠を凝らした華やかな装いに変わる頃(これを書いている時にはとっくに過ぎているが)、そんなこと全く念頭になく何の気なしに買った――それはやたらでかく、やたらシンプルなパッケージで、そして自分が好きなチョコレート菓子を出しているブランドであったため買った――円形の厚さ5ミリほどあるダークチョコをポリポリ美味いうまいなんて言いながら呑気に食べていた。しかし、違和感を覚え改めてそれを調べてみるとクーベルチュール、いわゆる製菓用だと気付いたので自分の間抜けさに苦笑(チョコレートの苦さは関係ない)しつつ、じゃあお菓子でも作ってみるか、とふと思い立った。
 
 今はスマホでサクッと調べればレシピなんていくらでも出てくる。今回は、最大公約数的に信頼できそうな、meijiのレシピを参照して「チョコブラウニー」を作ってみることにした。断っておくが、誰か大切な人がいて、「さーて張り切っちゃうぞ〜」とか言いながら一緒にキャッキャッと作る、なんて3回転生しても無理そうな今を僕は生きている。全てもう現世、来世では諦めていることで、ギリ過去世ではそういう前世よ一度でもいいからあってくれ、とは願うが、完全に自分が食べるために作る。親戚にお裾分け、くらいは考えていたが。

 レシピを見いみい、特に苦戦することなく(meiji的に「チョコブラウニー」は難易度★★)、溶かしたチョコに卵やら薄力粉やらを入れて型に流し込むと、予熱しておいたオーブンレンジへ。次第にチョコレートの甘い匂いと何とも香ばしい焼き菓子の匂いが漂ってきて思わず興奮する(そういえば『DUO』という英単語帳で勉強していた時、"Remind"という単語を元カノの香水に絡めた例文で扱っていたのを、何か匂いについて印象深い体験をした時、いつも思い出す)。
 大体30分弱焼いて、粗熱を取って切り分ける。自分で食べるので見てくれは気にしないが、ヒビの入った表面を見て「もっと綺麗な表面にな…はっ、これはこだわりたくなるな…」と悪魔の囁きめいた欲求を内奥に感じた。体裁を整えるために切り取った端っこを食べてみると、めちゃくちゃ美味しい。ちょっと信じられないくらい美味しくて、近年では味わったことのない感動を覚えてしまう。確実に脳内で何かしらの物質がドバドバっと分泌されて、思わず浮かぶほくそ笑みが止まらない。他のエンターテインメントでは体験したことない、あるいは全く違う質の精神浄化作用を感じてテンションが上がる。誰か特別な他者に向けて作ったとすれば…と考えると中々興味深い。家族でお菓子作るのって絶対楽しいよ…こんなん…という諦めやら悲しみやら憧れやら様々な感情が心中に渦巻く。バレンタインに好きな人のことを想いながらチョコ――あるいはお菓子を作る、なんてもはや前時代的な価値観・行為かもしれないが、10代の若い内に体験するのって決して悪いことではないのでは? と中2女子にも思いを馳せた(何年か前に、たまたまバレンタインの日の夕方、近所の中学校の前を通りがかったら女の子がラッピングした袋を持って校門の横に立っているのを見かけて、胸がキュンキュンしたことがある)。
 大学の頃受けていた哲学の授業で、エーリッヒ・フロムの『愛について』を扱った時だったはずだ。そしてそのことが文章中に出てきたのか、あるいは内容に関連して教授がレジュメにまとめていたのかすっかり失念したが、「料理というのは精神の安定を図るに最も適した行為」といった意味のことを教授が言っていた。もちろんそれは”愛”に関連している。誰かを思って何かを行為すること、という要旨の元、料理は最適である、という話だった。それがずっと頭の片隅に残っていて、やっと今、身体的感覚を伴って了解できた、ような気がした。

 料理における手際は基本的に慣れだと思うが、お菓子作りなんて全くしてこなかったものでも、何とかレシピ通りにこなせばそれなりにできる。同時に、あぁここはこうやっておけば良かったのか、と図らずも課題と解決策が見えてくるのが面白い。こういった面でも、小さな課題を自分で見つけそれを改善していき成功体験を積み重ねる、というプロセスは、何とも精神衛生的に良さそうだ。今回で言えば(お菓子作ってる人からすれば当たり前のことなのかもしれないが)、チョコやバターはもっと細かくした方が溶けやすい、とか、型に流し込んだ後はちゃんと空気を抜いた方がいい、とか、小さいことながらやっておけばベターだと思われる工程がいくつかあった。詰められる細部はいくらでもあり、そしてそれは効率化にも繋がる、更にそれが味にも繋がる。


2月XX日

 よりによってバレンタイン前日、「チョコブラニー」作りで余ったクーベルチュールを使い、生チョコを作ってみた。やはりmeijiのレシピを参照。生チョコはチョコブラウニーよりも難易度が低く工程自体も少なく簡単にできた。1時間ほど冷やし、切り分けたものを食べてみると、前回ほどの感動がない。味自体は問題なく、おかしいな? と首を捻るもすぐに気付く。単にチョコを溶かし生クリームと混ぜて固めただけでは、味がクーベルチュールとほぼ変わらないのは必定である。なので原材料と加工品との間にほとんど差異・落差がなく、驚きが少ない。何かひと味かふた味――例えば洋酒など加えた方がよかった、と心底思った。同時に、実は自分が目指している味や好みの味が割と明確にあることに気付く。もっと柔らかい方がいいな、など食感にも理想としているイメージがあるということが、一つのチョコから照らし出されてきた。頭の中にある理想のお菓子を具体的な形にして且つ個体差のない安定した商品にするって、改めて凄い。


3月XX日

 少し時間が経過して、世間的にはホワイトデーと言われる日。このところ何ともやるせない気分の日が続いていたので、お菓子作りを決意。毎度わざわざイベントのある日に作らなくても良いのだが、ホットケーキミックスで簡単に作れるというので、今度はスコーン作りに挑戦した。僕はスコーンとドーナツが大好きである(パンはあまり好きではない)。色々とレシピを見てみたが、工程的に難しいものはなく、単にホットケーキミックスに牛乳やバターを入れて混ぜるだけ、という感じだ。まだ残っている件のクーベルチュール・チョコを混ぜたチョコチップ、ナッツを混ぜたもの、プレーンの3種類の生地を作る。あとは焼くだけ。
 しかしお菓子を焼いている時にオーブンから立つ香りは本当に最高。確実に脳みそへダイレクトに届き作用している(バンテリンとか目じゃないね)。23分ほど焼いて見てみると中々な出来栄え。焼きたてのプレーンを食べてみるとサクサクで美味しい。どちらかといえばクッキー寄りな食感な気もするが、全然気にならない。少し冷めてからチョコチップとナッツ入りを食べる。明らかにこちらの方が美味しい!200gのホットケーキミックスから数日朝ごはんには困らない量ができて満足。
 その後精神状態が上向いたのを感じ、DAWを開く気になりポチポチするも思うようにいかず、また滅入って精神のプラマイは結局ゼロになった。おい!!!!

 何度かお菓子を作ってみて思ったこと。先にも述べたが、いかに自分のため、と言っても、見た目の良さへのこだわりや、味や食感など理想とするものへの追及・こだわりをもってお菓子作りをしたくなる、というのが分かった。いざやりだすと、沼にはまりそうな気配をガンガン感じる。まだ自分はその段階ではないし、義務とか作業になっちゃうと絶対何か違ってしまう、というのを皮膚感覚で察したので、自分がとにかく美味しく食べたい、というのを一義的なモットーとして、これからも折を見てお菓子を作っていきたい。
 

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