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新日本画の世界・山口蓬春展へ

大阪・なんばの高島屋で、開催されていた「山口蓬春展」に行って来ました。
以前、NHK「日曜美術館」の特集を見て、その作風に魅せられ、いつか本物を見てみたいっと思っていたんです。

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1893年(明治26年)北海道生まれの蓬春は、父の転職で、10歳の時に上京。
10代の頃から、水彩画、油彩画を描き始め、22歳の時に、東京美術学校(東京芸術大学・美術学部の前身)に入学。
「絵描き」人生をスタートさせました。

私が、その特集で、最初に見たのが、「香港島最後の総攻撃図」(1942年作)。
夜の戦火の絵なのですが、なぜか、凄く心振るわされました。

今回は、この作品は来てなかったのですが、「やまと絵」から「蓬春モダニズム」、「新日本画」と呼ばれる代表的な作品を見ることが出来ました。

絵葉書でのご紹介です。

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「緑庭」(1927年)

帝展・二年連続特選を受けた作品で、蓬春が描く「やまと絵」の評価を揺るぎないものにした作品でもあります。

この美しい緑の濃淡、ふわっと風が吹いてきそうな、繊細で柔らかい筆遣い。
思わず、足を止めて、見入ってしまいます。
この作品を、また見たいと会場内で、何度も引き返した私です。

これらの「やまと絵」を「蓬春美」とまで呼ばれるまで追求し、10年程描き続けますが、その後、美術展の審査員として、行き来していた台湾、中国、南方各地の異国の風景が、また違う創作意欲を刺激し、作風が変わっていきました。

丁度、この頃、戦争画家として描いたのが、「香港島最後の総攻撃図」

戦後、疎開先から、葉山に移り住み、画室(アトリエ)を構えました。(現・山口蓬春記念館)

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 蓬春が、創作活動をしていたアトリエの再現

このアトリエから、多くの「蓬春モダニズム」、そして「新日本画」と呼ばれる洗練された日本画が、創られていきます。

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「望郷 小下絵」(1953年)

まさに、「蓬春モダニズム」の代表作品のひとつ。

この絵を描いた年の前年、1952年の夏。
暑い日が続き、「白熊」を題材に何か制作を、と考え、上野動物園に写生に出掛けたそうです。
その時、暑さを凌ぐために贈られた氷柱を、嬉しそうに触っていた可愛らしい白熊の姿を見て、描かれたそうです。

本当に、涼やか、そして可愛らしく。
白熊の、ほわっとした毛並みまで、感じさせるタッチで、ほっこり気分。
この日の、大阪の暑さを、忘れさせてくれました。

「もっと明るく、もっと複雑な、もっと強い、もっとリズミカルな」と言う蓬春の色感。
堪能できます。

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「花菖蒲」(1962年)

琳派・尾形光琳の「燕子花屏風」を思い起こすような画風で、こちらも眼を惹きます。
花菖蒲は、蓬春が好んだ花、画材のひとつで、数作品描かれています。

晩年、蓬春が挑んだのは、「和洋の融和」。
「新日本画」と呼ばれた、これらの作品は、穏やかでありながら、そして力強さ、円熟さを感じさせるものでした。

最後は、皇居宮殿正殿・松の間杉戸に描かれた「楓図(下絵)」も見ることができて、全52作品。
蓬春の世界を、満喫できました。

「絵に年を取らせるな」と、常々言っていた蓬春。
一度、形が出来てしまうと、変化を怖がり、同じ事を繰り返してしまいがちですが、意欲的に画風を変えて、常に、新しい風を入れて、新しい表現に、挑戦し続けていく、蓬春の絵描きとしての「生きざま」にも、とても惹かれました。

山口蓬春記念館にも、いつか行ってみたいです。

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☆山口蓬春記念館


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