プロレスと芸術は近いのか?

最近ライジングHAYATO選手が、
「プロレスはリングで心の中をぶちまけるもの」的なことを言っていた。
その上で「最もどす黒いのがカズ・ハヤシ」だと。
確かにカズ・ハヤシ選手のプロレス人生は、
wikiを見ただけでも色々と苦労しているんだろうなって思える。
それをHAYATO選手が「どす黒い」と表現してるのか、と思い、
それが妙に腑に落ちた。

プロレスの表現方法って本当に幅が広いと思う。
言葉や試合内容はもちろん、試合形式での表現まで多種多彩だ。
試合形式の観点では、レスリングを通じて表現することが直球だとしたら、
以下のような変化球な表現をする試合もある。
・頭の上のカレー皿からカレーをこぼしたら負けマッチ(たしかDDT)
・健康サンダルを履いてタッグマッチ(乱丸フェスタ)
もはや表現なのか、とも思えるけど、
「これもプロレス」と言われてみればそうなのかもしれない。
こんな風にプロレスの表現ってとんでもなく広い。

そこでふと思ったのが、芸術の業界。
絵画史を見ると、お堅い宗教画だらけみたいな時代があった後に、
自由な表現を求めた若い画家達が運動を起こして、
ロマン主義やら写実主義やら印象派などが誕生している。
なんとなくプロレス団体の歴史や変遷に近いものを感じる。

さらにキュビズム(ピカソとか)になってくると、
正直なにがすごいのかよくわからない。
絵ではないが、デュシャンの「泉」なんてただの便器じゃないか、
と個人的には思ってしまうが、
専門家の視点では芸術らしいから、たぶん芸術なんだろう。
「これもプロレス」「これも芸術」。
似たような響きとも思える。

武藤敬司さんは試合のことを「作品」と呼ぶらしいけど、
上記の観点から言うと、あながち変な話ではない。
自己表現をキャンバスにするか、リング上でするかの違いだし、
そこでなにを表現するかも自由だと思う。
というわけで、プロレス×芸術ってことで、
DDTあたりで「絵画マッチ」とか「彫刻マッチ」とかしないかな。
面白くなるかは未知数すぎる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?