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~Something in the Rain ~よくおごってくれる綺麗なお姉さん。      今や、映画は新世界に突入した。映画雑感!


韓流ドラマ「愛の不時着」を見て、主演女優のソン・イェジンのファンになり、彼女の映画、ドラマをできるだけ見ようと思った。これは彼女が主演する、2番目に見た映画。僕はこの作品をテレビドラマとは思っていない。どう見たって、長編連続映画だからだ。
テレビドラマと映画の違いは、かつては明確な線引きがあった。ビデオ制作かフィルムか、という。テレビは画質が悪かった。それがHDになり、放送の画質は映画並みに向上した。ただレンタルショップの主流はDVDだ。ブルーレイならHDだけれどタイトル数が増えることはなかった。
かつてテレビ放送が有利だった時代、それがデジタル配信ができるようになって、テレビ画面で映画を映画としてみることができるようになった。
デジタルリマスターなら、かつて劇場で見た、映画より上質な画質で見ることができる。
デジタル配信は映画を変えた。
劇場で映画を見なくても、大画面で堪能することができるようになったのだ。
それまでテレビの独占だった、連続長編ドラマは、
テレビからその特権を奪いとった。
お仕着せの放送ではなく、自由な時間に自由な場所で見ることができる。
そんなことは世界ではとっくに始まっていたのに、日本では放送という利権のもと、やっとかなうようになったのが最近だ。
↓は、予告編。韓国ドラマは、パブでかなり見せてしまうので、というか情報垂れ流し状態、まあ数年前の映画だからしょうがないけど、あまり予告などを見ず見ることをすすめます。この映画は、ストーリーより、すばらしいシーンで出来上がっている。2時間や、3時間の劇場映画では絶対に表現できないことが、映画技法で表現されている。

OST  オリジナルサウンドトラックの略らしい。
この連続映画は、ストーリーより音楽とシーン、そしてデジタルカメラで撮られた、できるだけ自然光に近い映像に見せられる。
ソウルの街に行ってみたくなった。ソウルはではかなり自由に映画が撮れるみたいだ。多くの現代もののソウルは、ロケ地がかぶる。でもそれが、さまざまな主人公が生きる街、ソウルに見えて、立体的に世界が構築されつつある。

データ配信は、映画のなかの革命、拡充だ。
それは、時間からの解放だろう。
スターウォーズの、いくつかの人気映画はシリーズ化されている。しかしそれはそうだいな時間をかけた、連続ドラマではなく、あくまでシリーズだ。

「愛の不時着」でソン・イェジンの魅力にとりつかれたが、
この「きれいなお姉さん」は、韓国語にひかれた。
特に、彼女が話す韓国語の音感、抑揚、間、緩急におどろいた。
日本語と違って、子音の多い韓国語は、耳障りな言語だと思い込んでいた。北朝鮮のアナウンサーのギャグのような演説調が耳にこびりついているからかもしれない。
韓流の音楽も、ダンスのほうに気を撮られていて、言葉としては気にしていなかった。それが、映画の中の、彼ら、彼女らの、言葉にひかれた。
韓国語と日本語の文法はかなり近いとのことだが、発音は全く違う。
表記など、かつては漢字だったけれど、今の韓国はほとんどをハングルで表現している。
日本語は母音ばかりで、韓国語は子音のパレードだ。

映画やドラマの役目は、無形から文化を創造する役目がある。
かつての日本映画のなかの、女優たちが使った表現法、いや昔の女性たちがあのように皆が話していたわけじゃあるまい。
可憐でシンの強い、吉永小百合。もしくは小津安二郎のなかの話し方。みな独特だ。あれは、自然だったのだろうか。
けっして自然ではないと思う。作られている。創造している。だから美しい。
ソン・イェジンの、話し方、音程、抑揚は絶対に作られている。韓国女性のあまえるような抑揚。すねたり、あまえたり。
この20年間、韓国ドラマ、映画は、
韓国語の話法の発明をしてきたのだと思う。

韓流、映画、ドラマは、いやどんな海外の映画でもそうだけれど、吹替は残念なことになる。いや、いまや声優の実力もあがり、もしかしたらアテレコも進化しているのかもしれないが。
30年以上前、イタリアだったかな、ロケで夜部屋に戻って、テレビをつけたら日本映画をやっていた。高倉健が出ていた。そして高倉健はイタリア語を話していた。僕は最初イタリア語だと思わなかった。声優は、高倉健の声と間を表現していた。それが吹替のベストだろう。

今の韓国ドラマの吹替は、日本語表現のまずしから考えると難しい。
それは明治以降の日本語、標準化にあったのかもしれれない。ことばに抑揚がないからだ。まさに早口になるとラップのようだ。そのうえ母音にスピードがついてゆかない。
関西弁とか、方言だったら表現できるのかな?
新しい、標準語の表現の発明が必要なんだろうな。

韓国語ドラマ、映画のなかで、役者たちは、泣き、叫び、喧嘩をする。
ソン・イェジンの天才は、あんなに泣きながらきちんとセリフを言う。
甘い場面のことばは、母音は有効だ。日本語は機能している。
でも、むせびながら、感情を込めながら、「愛している」は、言葉にならない。ことばにならなから、日本では言葉が不要になってしまった。

韓国語の「사랑해요(サランヘヨ)」(サラゲ)
は、へろへろでもはっきり言える。
この映画で、言葉の圧巻は、携帯に吹き込んだ、ソン・イェジンの独白だ。
録音するという行為、会話ではない、独白だからだろうか。かなりジーンときた。この辺なら、日本語でもありえるかな。と。

それと、名前を呼ぶときの、日本語で言えば、「さん」、とか、「ちゃん」だろうか、がめちゃくちゃかわいい。まるで恋愛のドラマのためのような言語だ。いやいや、絶対にこれは発明だろう。

この映画の見どころ、聞き所はやはり音楽だろう。

主題歌といえる、Tammy Whnette STAND BY YOUR MAN
カントリーミュージックの1968年のNO.1 ビルボードでは20位ぐらいだった。カントリーミュージックは、日本でいえば演歌?いや日本の演歌だって明確にジャンル分けされたのは1970年代じゃないかな、それまでひとくくりで歌謡曲。
日本でも、ロックンロールの初期は、カントリーミュージックが最先端だった時がある。バンドといえば、ジャズとウエスタン、ハワイアンかな。そこにロックロール。プレスリーだよね。
そして60年代あたまにビートルズ。そこから本格的にロックになった。ロールがなくなって、享楽的より少し、ムーブメント、思想になったのかな。

音楽が時代の最先端の表現になったとき、ヒッピー、リブ、ベトナム戦争の時代に、なんともオールドファッションの、日本語で言えば 
「あなたの男に尽くしなさい」という、アナクロな歌が、カントリーミュージックの、アメリカ歌謡曲のなかで大ヒットした。印象的な曲なので、知っているがきちんと聞いたことはなかった。

以前「世界の街道行く」の撮影で、テネシー州、ナッシュビルのオプリハウスに行った。1926年から連綿と続く歴史的ラジオ番組「グランド・オール・オプリ」は、アメリカの音楽の拠点であることを知った。
巨大なホールでは、週数回、まるでラスベガスの公演のように、ライブが開催されている。それが放送される。
プレスリーもいちどだけ、売れ始めたときに、出演している。すると司会者のジム・デニーは、プレスリーに向かって「メンフィスに戻ってトラックの運転手をやり直した方がいい」と言ったという。
STAND BY YOUR MAN
アナクロな歌詞だが、実は多くの人が歌っていて、なんとエルトンジョンまでがフューチャーしている。
かつて男がマッチョの時代に、自分の男につくしなさい、と。
あまりに古典的だが、今や、すっかり弱くなった、男、は、「自分の男に尽くしなさい」「自分の男に寄り添いなさい」と、女がいうことに、違う感情を持つようになった。
歴史に残る名曲。この人の人生はもすごい。

同じ曲を、Carla Bruniがこちらムーディーに歌っている。これもOST。↓

LALALA

日系の歌手Rachael Yamagataの曲は、それだけでLoveだ。
彼女の歌はもう一曲使われている。

映画の内容は書かない。でも素晴らしラブストーリーだ。

つづく










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